「っ!? ゆゆゆゆゆゆゆゆゆ、幸村先輩っ!?」
「…………発声練習かい?」
まだ全然落ち着きを取り戻せていない少女とは対照的に、彼女の悲鳴を耳にしたその若者はほんの少しだけ驚いた様子だったが、いつもの様に穏やかな空気の中にいる。
首を傾げ、先程の大声の理由を尋ねてきた相手に、桜乃は慌てながらも何とかその場を取り繕おうとがばっと身体を向けた。
ナプキンに包まれた例のプレゼントは、今は自分の背中側へと隠している。
「いえ、あのっ…わ、忘れ物をしてっ…あのっ…先輩はどうしてここに…?」
明らかにいつもとは違う言動だったが、これが今の彼女の精一杯だった。
自分でも不自然な態度を取っているという自覚はあったが、今はもう上手く相手をやり過ごせる事だけを願うしかない…
そんな彼女の願いが通じたのか、幸村はそんな桜乃の行動に特に疑問を示す事もなく、あっさりと相手の質問に応えてきた。
「俺は君がここに来る姿が見えたから、部室を開けたついでにこれも一緒に持ち込んでおこうかと思って。どうしようか困ってたんだけど、丁度良かったよ」
「はぁ…」
これはもしかして、上手い事スルーされた…?
そうだ、このままなぁなぁで誤魔化していこう…
「あの、それって何ですか?」
誤魔化しついでにそう尋ねるとほぼ同時に、桜乃の脳裏に更にナイスアイデアが閃いた。
そうだ!
今ならここに二人っきりだし、これをチャンスにチョコを渡しても…
場所も誰もいない部室だし、誰かがまたここに踏み込んでくる可能性も少ないし…
(そ、そうよね…これは凄いチャンスかもしれないし…勇気を出してみようかな)
いざそのタイミングを測ろうと思っていた桜乃に、幸村は朗らかに笑いながら、
「これ? 今日のバレンタインで貰ったチョコだよ。一杯貰っちゃって、担任の先生から『勉強に関係ないものを置くな』って叱られちゃってさ…」
と、ぎっしりと戦利品が詰まった中身を桜乃に見せてきた。
(うわぁ〜〜〜〜んっ!!! やっぱりダメだぁ〜〜〜!)
勇気、粉々…
再び夥しい数のライバルという現実を見せ付けられ、桜乃の決意がしぼんでいく。
そんな乙女の傷心とは関係なく、幸村がやれやれと部屋中央のテーブルの脇へとひとまずその荷物達を置いた。
「人から頂いたものだから無碍にも出来ないし、置き場所に困ってたんだ。ここなら誰にも迷惑掛けないし」
「そ…そう、ですね…」
バッグの上部に覗く多数の鮮やかな包装紙に包まれたチョコレート達に、桜乃はその場で渡すという選択の危うさを感じていた。
(ああ…これじゃあ、ここで私がこのチョコレート渡しても、きっとあれと一緒にされちゃうんだろうなぁ…)
良い人だから、きっと『有難う』とお礼は言ってくれるだろう…けど!
受け取ったこのチョコをもしかしたらあの袋の中へそのまま放り込むのかもしれない。
別にそれも悪いことではないけど、こちらの我儘なのだろうけど…贈る身としては見るのは辛い。
「そうだ、竜崎さん。欲しいのがあったら幾つか持っていかない? チョコ、嫌いじゃなかったよね」
ふと振り返って微笑みかけてきた神の子に、桜乃が慌てて断った。
「え、でもそんな…くれた方に悪いですよ」
そんな相手に、若者は更に笑みを深めてきっぱりと断言。
「大丈夫、どうせ義理だし」
ぐっさぁ〜〜〜〜〜っ!!!
(あああああ、私が言うのも何だけど、あげた人達がお気の毒過ぎる…っ!!)
相手は明らかに誤解している!
女子達の中で、本当に義理程度の気持ちで彼にチョコをあげた人なんか殆どいないと思う。
謙遜しているのかどうなのかは知らないが、神の子は女心には疎いのだろうか…確か妹さんが一人いた筈だから、そんなに鈍い事もないとは思うんだけど…いや、でも妹がいるからと言って全員が敏い訳でもないだろうけど…
(う〜ん、う〜ん…本当に分かってないのかなぁ…)
悩んでいる桜乃を余所に、幸村はごそごそと持ってきたバッグの中を漁りながら彼女にそれらを手に取る様に促した。
「結構色んな種類のがあるよ。多分部活が始まったらブン太達にも持っていかれるかもしれないから、良さそうなのがあったら今の内に持っていきなよ」
「はぁ…」
ここまで先輩に勧められたら、意固地になって拒否するのも寧ろ失礼な気がする…
じゃあ、貰うかどうかは別にして、どんなのがあるのかぐらいは一緒に見ておこうか…何だったら気に入ったのがなかったって断ってもいいし…
「えと、じゃあちょっとだけ…」
桜乃はばれない様にこっそりとテーブルの脇にナプキンで包んだチョコを置くと、ゆっくりと相手のバッグの方へと近づいて行った。
「失礼しま…」
『す』の言葉が出る前に、紙バッグの中の異常なまでのきらきらしさに桜乃の口が止まった。
手作りのカードにいかにも高価そうな包装紙。
中にはかなり高価なチョコレートを扱う専門店のマークが入ったものまである。
どう見ても…中学生ならかなり奮発したのだろうと思しき物体ばかり!
(違う…っ! これは、義理じゃないです先輩っ! マジです! 本気ですっ!)
何でそれが分からないんですか!?と、心の中で桜乃が叫んでいるのに気付く訳もなく、幸村は「ん?」といった表情で相手を眺め…その視線がふとテーブルの上に移った。
「?」
先程まで、彼女が持っていた弁当…箱?
(あれ? ランチボックスじゃない…)
普通はプラスチック製のそれだが、ナプキンの隙間から見えているのは明らかに紙製の…しかもピンク色のものだ。
時々、部の話し合いとかで一緒に昼食を食べる時もあるから相手のランチボックスも見た事があるけど…あんなのは一度も見た事ないし…
興味を持った幸村は、つと動いてそのナプキンに包まれた物体の傍に寄り、ひょい、と覆っていた布を捲ってみた。
「これって…?」
「っ!!!! きゃああぁぁぁっ!! 見ちゃダメです〜〜〜〜〜っ!!」
元々相手にあげる予定の物だったのに止めるのもおかしな話だが、その時の桜乃はもう何も考えられなかった。
自分からあげるタイミングなどについては幾度となく考えたり、覚悟を決めたりもしていたが、向こうから不意打ちで探られるのは全くの想定外!
今はもう、相手の手を止めることしか頭になく、桜乃は夢中で彼に駆け寄り…
こけっ!
「はわ…っ」
たまたまそこに置かれていたバッグにつま先を引っかけ、バランスを激しく崩した状態で幸村へと倒れ込んでしまう。
「え…」
もし倒れて来たのが桜乃ではなく別の物体だったら、彼は難なくそれをかわすなり押しのけるなりして身を守っただろう。
しかし相手が自分よりかなり華奢な少女であった為、無茶も出来ずに若者はそのまま彼女の身体を受け止めながら、どさっと床に仰向けで倒れてしまっていた。
「すっ、すみませ…っ!!」
「……」
相手に一度預けた身体を慌てて起こしながら、桜乃は自分の下にいる幸村に詫びかけ…唇を止める。
彼女を見上げる幸村も、何も言わない。
「……」
「……」
その二人の、今の姿勢…
決して意図したものではないだろうが、桜乃の両手が相手の腕を押さえつける形になり、彼女の身体は相手のそれに乗りあがったままで、まるで桜乃が無理やり相手を押し倒した様な格好になっていた。
「あ…のっ…」
意味深な体勢になってしまった事に激しく恥じらいながら、桜乃が真っ赤になって身体を硬直させていると、それまでじっと少女を見上げていた若者が悪戯っぽく唇を歪めた。
「…俺を襲う気?」
「おっ…」
いつもの柔和な相手からは想像出来ない大胆な発言に、更に桜乃が真っ赤になっていると、相手はあっさりと反撃に移ってきた。
「手加減してあげてるのに、動きが悪すぎるよ」
「きゃ…」
ぐいと上体を起こしながらあっさりと桜乃の手を振り解くと、今度は幸村が彼女の両腕を掴み、そのまま彼女を下に押し倒してしまった。
先程までの二人の位置を、そっくりそのまま入れ替えた状態だ。
「ゆ、幸村先輩…?」
「ふふ…形勢逆転、だね」
桜乃を拘束しながらその状態にそぐわない穏やかな笑みを浮かべ、神の子が言う。
「襲われるより、襲う方が性に合ってるみたいだ…俺」
「え…」
「……ごめんね、見えちゃった」
「!」
ふと視線を逸らしながらの相手の懺悔に桜乃もまたそちらへと視線を移すと、倒れている自分の少し向こうに、あの箱がナプキンの覆いから外れた状態で転がっていた。
手書きのメッセージと一緒に…
「〜〜!!」
「俺への本命チョコって事で…いいんだよね?」
「え、あの…」
いきなり核心を突かれ、本心を聞きだされた事で桜乃が激しく動揺する。
確かに、間違いなくそうだけど…どうして私のだけ分かったの? 他の人のは義理だって断言していたのに…
「わっ…私だけじゃなくて、他の人も本命…」
「へぇ、そうなんだ? じゃあ謝っておかなくちゃ…その人達には答えてあげられないから」
あっさりとそう言い切りながら、幸村がぐ、と桜乃を押さえつける腕に力を込める。
「ねぇ? 桜乃」
「え…」
「俺を本気にさせといて、今更なし、なんて聞かないよ。君はもう、俺のものだ」
「ゆ、きむらせんぱい…?」
震える声で自分を呼ぶ乙女に、若者が顔を寄せつつ甘く囁く。
「『精市』がいいな、恋人の君に呼ばれるなら」
「!!」
その直後、幸村の唇が桜乃のそれをきつく塞いだ。
びくんと戦慄く少女の身体をそれでも優しく拘束しながら、彼は渇望していた乙女の唇の柔らかさを思うままに堪能し、やがてゆっくりと唇を離す。
「ずっと君が欲しかったんだ…正直、今日は朝からドキドキしてた…君からチョコを貰えるのかって、ね」
「精市、さん…」
瞳を潤ませている桜乃に手を貸し、ゆっくりと上体を起こしてやると、幸村はそのまま彼女の身体を抱き締めた。
「大好きだよ、桜乃…」
「…私も」
感極まってそれだけしか答えられなかったが、それでも十分だった。
互いが互いの気持ちを伝えられた…それで十分。
優しい相手の抱擁を受けながら、桜乃はこれからも彼と、想いを交わし続けていける幸せを願っていた。
了
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