「……歓迎か?」
「ごめん、ちょっと考え直してみる」
柳の確認にあっさりと幸村が訂正を伝えたところで、今度は桜乃からの質問を受けた。
「ああいうトラブルって何ですか?」
見下ろす少女の瞳に、あきらかにわくわくした楽しげな色が混ざっている。
「ふふ、それはまた追々ね…ここで暴露するにはちょっと勿体ない話だから。後でじっくり聞かせてあげる」
「わー、楽しみです」
(『暴露』する様な話だという自覚はあるんだな……)
赤也も気の毒に…と、柳は一瞬後輩の事を憐れんだが、もしかしたら幸村の暴露するという決定は、今、真田を困らせている彼へのお仕置きのつもりなのかもしれない、と思い直した。
(優しい顔をしているが、そういうところはきっちりと始末をつける男だからな…そうでもないと立海の部長など勤まらなかっただろうが…しかし…)
思いつつ、桜乃と談笑している幸村の様子を窺い、ふむ、と柳が頷く。
(竜崎の前だと、やはり精市の機嫌が明らかに上向くな……有意なデータだ)
そして二人の談笑が一段落したところで、桜乃は一旦点呼を取るべく、その場から離れようと暇を告げた。
「あ、じゃあ私、そろそろ行きますね?…あ、幸村先輩」
「ん?」
「あの、ジャージ、どうされますか? 私、部室に一度戻りますけど…」
「え…」
一瞬、何でそんな事を言うのか、という顔をした後、幸村が理由を察してふふ、と笑った。
「いや、いいよ、俺はこのままで。気遣ってくれて有難う」
「あ、いえ…分かりました」
「じゃあ蓮二、振り分け宜しくね」
「ああ」
すたすた…と歩いて行く幸村の背中を見送り、桜乃がほう、と息を吐く。
「やっぱり凄いですよね…ジャージを羽織ったまま試合出来るなんて」
「ああ、相手の動きを先の先まで読み、更にその上をいく動きをしなければ出来ない事だ。それも一切の無駄のない、必要最低限の動きを……人は見た目ではないという良い見本だな」
「華奢に見えますもんねぇ…それに、いつもはあんなに優しい人ですから」
「…………まぁな」
(あれ? 何だろ、今の沈黙……)
気にはなりはしたものの、結局その後の点呼が控えている事もあり、桜乃はその理由については訊けず仕舞いだった。
「ゲームセット! 6−0!!」
結局、その日幸村は一日中コートに立ち続け、後輩達の相手をやり通した。
やはり、ジャージを肩にかけた姿のままで。
「これで全部消化したのかな?」
「お疲れ様でした、幸村先輩」
脇でずっと見学していた桜乃から、手持ちのボトルを手渡された幸村が礼を言って中身を飲んでいる間に、他のメンバー達が試合結果を記した柳のノートに群がっている。
神の子が絶対に負ける訳がないと分かっていても、そういうのがあると見たくなるものなのだ。
「ま、トーゼンの結果だな」
「我々でも勝てないのですからね。しかし、後輩の皆さんもよく健闘されていました。今後に期待しましょう」
ジャッカルの批評と共に、柳生がこうはい下級生達の努力を評価していたところに、切原がにゅっと顔を出す。
「おお、ゼロが並んで団子の行列みたいッスねー」
「お前さんの、対真田戦場外編も同じ様なものじゃろうが」
「うっ…ソコ突っ込まれると厳しいッス」
今日も結局、捕まって真田から拳骨を受けてしまった後輩がごにょごにょと口を濁しているのをくすくすと笑いながら眺めていた幸村が、不意に、傍でじっと自分を見上げている桜乃に気付いて顔を向けた。
「何だい?」
「あ、いえ…本当に、ジャージが落ちないなんて凄いな〜って。魔法を見ているみたいでしたよ?」
「そう、かな。そう言われると何だかくすぐったいよ」
「ま、それは俺も同感じゃな。最初にコイツの試合を見た時には、それこそ詐欺かと思ったぜよ」
口を挟んできた詐欺師に、幸村が楽しそうに笑う。
「知ってるよ。君がウチに来てから暫く、俺のジャージを剥がす奴が誰になるかって事で賭けをしてただろ? でも最近はその話、聞かないね」
「何じゃ、お見通しじゃったか」
追求されても特に慌てる素振りも見せずに、仁王はあっさりとその事実を認め、軽く頭を掻いた。
「何度も何度もお前さんの勝ちで賭けが流れてのう…ケリは着かんわ、キャリーオーバーの値はおっそろしい事になるわで、結局賭けそのものを無かったことにしたぜよ。ありゃあ、扱うにはあまりにもリスクが大き過ぎる額じゃったけ」
「そうなんだ」
「いや、『そうなんだ』って…」
「一応形だけでも止めろよい、部長なんだし」
ジャッカルと丸井が突っ込んでも幸村の表情は何ら変わらない。
「仁王は自分でケリの着け方ぐらいは知っているよ。それに俺、努力は嫌いじゃあないけど、無駄な労力は使わない主義なんだ」
「いやいやそれ程でも」
「褒めとらん!」
匙投げられとるんだ!と訂正した真田も、何となく心情的には納得出来かねるものもあるらしく、実に渋い顔つきだった。
「…でも、一度青学のボーヤに落とされちゃったのは事実だしね…」
「? 何スか? 弱気になるなんて幸村先輩らしくないッスよ」
「弱気と言うか…次に同じ賭けをやるとしたら、誰の名前が挙がるかなってちょっと思っただけさ」
「そりゃ勿論俺っしょ!」
「ふふふ、楽しみにしてるよ」
元気で生意気な後輩との会話を元部長が楽しんでいるところに、不意にぴゅうと高い音が聞こえると同時に一陣の風が吹き抜けていった。
「…っ」
声は出さなかったものの、風を受けた桜乃が肩を竦め、目をやや固く閉じながら身体を縮こまらせた。
「うぅ…日はあったかいけど、そろそろ風は冷たくなってきましたね〜」
寒い寒いと自身の腕を擦り、呟くマネージャーに、幸村が愁眉の表情で声を掛ける。
「大丈夫?」
掛けながら、自らの羽織っていた、話題の中心にあったそのジャージをするっと外すと、彼はそのままふわりと彼女の細い肩に載せてやった。
「?」
「いいよ、そのまま羽織っておいで。俺は身体を動かしてる分、寒さは感じてないから」
「え、でも…」
「いいからいいから。風邪を引いたら大変だからね」
ぽむぽむと優しく桜乃の頭を叩いて反論を封じてから、元部長は踵を返してすたすたとコート脇を歩いて向こうへと歩いて行った。
そして、残された桜乃の肩に掛けられたジャージを見つめるメンバー達は…
「……賭けるまでもないのう」
「そもそも成り立たないでしょう」
仁王と柳生の台詞に含まれている諦観の思いを、各々の面にも明らかにしていた。
過去、他の女子と同じ様な状況になったとしても、あんな行為を取った事は一度としてなかった『神の子』が、おさげの娘にはいとも簡単に…
まぁ、これまでの彼の桜乃への態度から薄々感じてはいたことだけど…やはり、そういう訳だったか。
(北風と太陽だな…)
柳がこっそりと心の中で思う。
無理やり試合で引き剥がそうとしたところで、あの男がそう易々とそれを許す訳はない。
しかし、あの娘の為になら…
(さて、本人はいつ気付くかな…?)
素直に元部長の優しさに感動している様だが、その優しさが自分一人の為だけに向けられていると、彼女が気付くのはいつになるか…
寧ろ、そちらを賭けの対象にしたら良いのではないかと思った元参謀だったが、そういう事は既にあの詐欺師の頭の中にも浮かんでいる事だろう。
いや、他のメンバーも同様かもしれない。
しかし誰かが言い出さないという事は、明らかにそこに『危険』を感じているからだ。
桜乃が関わっているところに安易に賭けを持ち出されたと知った時の、『神の子』の怒り…最早危険どころではなく、自殺行為に等しい。
平和は享受するものではなく、守るもの
無駄に命を散らすこともなかろう、という見解に至った男は、それからも何も言わず、そして他のメンバーも何を言う事もなかった……
了
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