(竜崎っ!?)
 一度は同伴を拒んだ筈の相手が、今まさにこちらに身体を向けて佇んでいた。
 いつの間にいたのか、その視線は、明らかに驚きの感情を宿して幸村へと注がれている。
 見られた…!!
「う、あ…」
 どうしたらいい? 何を言って、どう誤魔化せばいい…!?
 真田がそんな事を頭の中で考えながら、二人を交互に見ていた一秒後……
「…そっくり」
「…え?」
「幸村さんの、ご身内の方ですか? そっくりですね…」
 驚いたままの桜乃の言葉に、瞬間、真田は便乗していた。
「そ、そう! その…あいつの従兄弟でな」
 見られたのは拙かったが、まだ相手を本人と思われていない分誤魔化す方法はある!
 まさか相手が幼少化した本人であるとは常識的に考えないだろうと思いながらも、真田はバレはしないかと内心不安一杯だった。
「お従兄弟さんですか、道理で…お名前は?」
「せっ…セイジ、だ!」
「……」
 親友の必死のフォローだったのだろうが、幸村の見つめる視線はちょっと冷たい。
 どうせセイ『イチ』という名前の最後の音から連想して、単純に付けたものだろうけど…
「セイジさん…ですか、初めまして」
「…う、ん…初めまして」
 取り敢えず、こうなったら乗りかかった船! 自分も出来るだけ自然にそう見えるように振舞わなければ…と、幸村は桜乃に向けてにこ、と笑いながら初対面の挨拶をした。
「わぁ…笑った顔も幸村さんそっくりですね」
(そりゃあ当人だからな…)
 内心そう答えながら、真田は取り敢えず腰を上げると、占領していた四人席の中で幸村の隣へと移動し、二人に相対する形で桜乃を座らせた。
『もうちょっと捻りのある名前は付けられなかったの!?』
『こういう状況で、俺にそこまでセンスを求めるな!』
 こっそり囁きあう二人のどちらもが尤もな意見を述べているとは露知らず、腰を下ろした桜乃は、相変わらず一年生の幸村へと視線を向けている。
「…竜崎…付けてきたな」
 気を取り直して真田が相手に確認すると、彼女はそれをあっさりと認めて頭を下げた。
「御免なさい! でも、どうしても幸村さんが気になって…あの人がお休みするなんて、余程お辛い風邪なんじゃないかって。私がいたところで、何のお役にも立てない事は分かってましたけど、じっとしていられなかったんです……御免なさい、幸村さんには内緒にしていて下さい」
(いや、無理)
 既に事実が当人にダダ漏れの状態だし…と心の中で断った真田が、ちらっと隣を見ると…
「……」
 どういう顔をしたらいいのか分からない、といった様子の幸村が、視線を逸らして押し黙っていた。
 まさか目の前で本人が聞いているとは思っていないからこその桜乃の真摯な言葉に、驚いているのかもしれない。
「まぁ…その、悪気は無かったのだろうから、そう責めるつもりはないが、な」
 こんな所で下手に彼女を責めるような発言をしたら、後の幸村の報復が恐い…と思ったのかは定かではないが、真田は彼女の尾行については不問とした。
「…でも、どうして従兄弟の方とこんな所で…? 幸村さんに会いに行かれる筈だったんじゃ…」
「う…それは、その…」
 桜乃の当然と言えば当然の質問に、真田がどもって困っていると、そこに幸村がさらりと割り込んできた。
「俺との約束が先だったから。真田『先輩』に、立海について聞いておきたいと思って、今日会う約束をしていたんだ。進学先をどうしようか悩んでて…精市『兄さん』も風邪の間はあまり先輩には会いたくないって言ってたから、俺が仲介したら丁度いいでしょ? 俺、あの家に泊まる予定だし」
「まぁ、そうだったんですか」
「……」
 よくもまぁ、そういう嘘を次から次へと…と、真田はしかめっ面をして押し黙った。
 もしかしてこの男、あの詐欺師からそういうレクチャーを受けているのではあるまいな。
 そう考えていたところに、真田の携帯が鳴り出した。
「?…む」
 取り出してみると、発信先は柳蓮二の名が記されている。
 それをさり気なく見せると、部長は一秒の沈黙の後で真田に答えた。
「精市兄さんは、移るといけないから誰にも会いたくないって言ってた。見舞いに行っても会うのは難しいと思う」
「…そうだな」
 つまり…向こうがそういう話を振ってきたら断れという事だな、と理解し、副部長は頷いて立ち上がった。
「真田さん…?」
「すまん、マナーモードにしていなかったな…少し席を外す、終わったら戻る」
 下手なところで話に綻びが生じては元も子もない…柳の方は、ここにセイジという名を借りた幸村がいる事も知らないのだ。
 真田が席からいなくなった後には、同じく何も知らない桜乃と、秘密を抱えた幸村だけが残された。
 暫し、二人ともが沈黙する…
「……竜崎、さん…?」
「え、あれ…? 私、自己紹介、しましたっけ?」
「…ううん、精市兄さんから聞いてた…おさげの子が、よく見学に来るって」
 上手く誤魔化した後で、彼は一呼吸置いてから尋ねた。
「立海って…どう?」
 尋ねてから、内心後悔した。
 馬鹿、そんな事聞きたいんじゃないのに…本当は、本当に聞きたいのは…
「立海ですか? うーん…」
 彼の内面の葛藤には気付かず、桜乃は首を傾げながら真剣に考え、自分の意見を述べた。
「凄く大きな学校ですよね。大学まで一貫してますから、そういう所は見る人から見たらとても魅力的かも…施設も充実してるし…でも一番いいなと思うのは、やっぱりいい先輩がいる事かな」
「先輩?」
「はい、頼りになる人達、一杯いますよ? テニス部レギュラーの皆さん見てると、本当にそう思いますから…ああいうお兄さん達いたら、きっと学校生活楽しいですよ」
 自分が見学に行った時の事を思い出しているのか、心から嬉しそうに微笑む桜乃に、幸村が一瞬反応を忘れて相手を見つめてしまう。
「…そう…じゃあ、竜崎さんは…」
 ずるいかもしれない、こういう形での質問は…けど、この姿である内に、どうしても聞きたい。
「精市兄さんって…どう思う?」
「え…っ?」
 その言葉を受けて、明らかに少女の顔がかぁっと真っ赤に染まってゆくと同時に、彼女の様子が落ち着かなくなってきた。
 そわそわと身体を揺らし、視線が定まらず、やたらと口元に手を当てて…そして幸村にちらっと目を向ける。
「そ、その……凄く優しくて、頼りになる人、ですよ…」
「…そう」
 褒められているのに、全然嬉しくない、と幸村は内心落胆した。
 そんなの他の女子達からも散々聞いた褒め言葉に過ぎない…いや、他の女子達からはそれ以上に熱烈な告白も受けてきたけど、そんなの意味が無い…この子の言葉じゃなきゃ。
 今の自分が相手にとっては初対面で、本音を言い難いのかも、という可能性もあるけれど…でも、沈んでいく気持ちを止められない。
 やっぱり俺の気持ちは…一方通行、なのか…?
「…私は、大好きです」
「!? え…?」
 我に返った幸村が前を見ると、顔を赤くしたまま、桜乃は俯いていた。
(え…?)
 何? 今の言葉の意味は…
「…精市兄さんが?」
「…」
 更に真っ赤になった桜乃は、もう一度前を見て…男の面影を宿す従兄弟にこくんと頷いた。
「はい…あ、でも絶対に内緒ですよ。ゆ、幸村さんは優しいですから…勝手に私が想っているだけなのに、押し付けるのは迷惑ですから」
 じゃあ…一方通行じゃ、なかった、のか…
 ずっと前から彼女を見てて…その瞳の奥に映る好意の本当の意味が分からなくなっていた。
 先輩として? テニスを通じての友人として? それとも…異性として?
 聞きたくても聞けなくて…かと言って態度で表すのも恐くて、あくまでも立海の部長としての自分だけを見せてきた、厳しく、誰に対しても公正な人間としての姿だけを。
 自分は弱い…そして卑怯だ。
 こんな形になって尚、彼女の心を覗き見たくてこんな道化を演じて…隠していた彼女の本心を知って喜んでいる…喜んでいる…けど……
(…戻りたい!)
 今の自分は幸村精市ではなく…セイジという他人なのだ。
 もしかしたら、今後もずっと…それを演じなければならないかもしれない、いや、彼女の前から消えないといけないかもしれない。
 そんなのは…嫌だ…っ!!
「竜崎さん、あの…」
「?」
「すまんな、何とか話はつけてきた」
 声を掛けようとした幸村だったが、そこに丁度真田が戻ってきたことで、結局、何も言えなくなってしまった。
「…何ですか? セイジさん」
「…ううん、何でもない」
 そしてそのまま、何の進展もないままに、彼らは喫茶店前で別れることとなった。
 元々幸村を見舞おうと思っていた桜乃だったが、それが叶わないのなら長居しても意味がなく、遅くなればそれだけ帰りが暗くなって危険だからだ。


「竜崎は駅の方だったな」
 桜乃は真田に頷いた後、初めて出会い、もう別れてしまう少年へと身体を向けた。
「はい。じゃあ、さよならセイジさん…幸村さんにお大事にと伝えて下さい」
「うん……ねぇ竜崎さん」
「え?」
 真田の目をこっそりと盗む様に、その少年は少女の気持ちを確かめるように囁いた。
「…精市兄さんの事…そんなに好きなの?」
「!……そうですね」
 頬を染めながらも、彼女はとても綺麗な笑顔で頷いた。
「…言葉では言い表せないぐらいですよ」
「…そう」
 嬉しくも悲しい言葉だった。
 恋が一つ成就し、恋が一つ破れた…皮肉にも、同じ自分の心の中で。
「…羨ましいな…こんな可愛い人にそこまで想ってもらえるなんて」
「!…な、何言ってるんですか。きっとセイジさんも素敵な人に会えますよ」
「…だといいね」
 それは無理だよ…俺はもう、君に会ってしまったんだから。
「じゃあね。『さよなら』、竜崎さん」
「はい、さようなら。セイジさん」
 これが最後の別れの言葉になるかもしれない…そう思うとあまりに辛すぎて、どうにもならなかった。
「精市…?」
「付き合ってくれて有難う弦一郎…早く帰らないと親に怪しまれるから、もう行くよ」
 フードを深く深く被り、顔を隠し、幸村は逃げるように友人から別れて家路を辿った。
 家に戻った後も、そのまま誰にも姿を見せず、再び自室に篭り、ベッドの中でただ身体を丸めていた。
 どうしてこんなに涙が溢れるのか…自分の中にこんなに涙があったのか…
 好き、だったのか…こんなに胸が痛むほどに…



 翌朝…
 家族の呼ぶ声に起こされ、幸村はのろりと、珍しく寝起きも悪く起き出した。
「……」
 いつもの朝か…外はよく晴れて、絶好の部活日和だな…身体は少し重いけど。
 そう言えば昨日、俺、あのまま眠ってしまった……
「…っ!!」
 は、と我に返って自身の手を見ると、ぴったりと服に合っていた。
 昨日はあんなに裾が余っていたのに…という事は…!
「え…」
 慌てて自室から飛び出し、洗面所に向かった彼が、鏡に向かって出会った自身の姿は…
「……」
 紛れもなく、年齢相応の…中学三年生としての姿を取り戻した彼だった。


「兎に角、原因は不明だが、解決したのは何よりだったな」
「有難う、弦一郎…くれぐれも昨日の事については」
「誰に言ったとしても戯言で済まされるだろう…俺も言うつもりはないしな」
「うん…」
 その日、何事もなかったかの様に登校した幸村は、最初に伝えていた通り、ただの『風邪』での欠席であったと通した。
 どうして元に戻ったのかは分からない…異常な程に流した昨日の涙で、何かが身体から流れ出たのか、それも不明だ。
 しかし、経過はどうあれ、結果は自身にとって最も好ましいものに落ち着いた。
 今は、今後またこんな事態が生じない事を願うのみだ。
「幸村…さん?」
「っ…竜崎さん?」
「良かった…お風邪、治ったんですね」
 昨日も来てくれていたという桜乃が、今日もまた連日で足を運んでくれた。
 いつもなら、こうして連日で訪れることは本当に珍しいのだが…
「心配してたんです…昨日は、従兄弟のセイジさんという方にお会いしましたが、ご自宅へのお見舞いは止められてしまって…」
 そのセイジが目の前の若者であるなど、当然考えてもいないらしい少女に、幸村は僅かに苦味を含んだ笑みを浮かべた。
「うん、ごめんね…風邪、移したくなかったから…ウチの従兄弟が世話になったね」
「いえ、何もしてませんよ…でも、セイジさんって幸村さんに本当にそっくりでした…立海を受験するんでしょうか?」
「ふふ、どうだろうね」
 何気ない会話はいつもの通り…しかし、今日の若者は、いつもの彼ではなかった。
「…でも俺は、もうセイジになるのはゴメンだな」
 もう、あんな悔しい思いをするのは、二度とゴメンだ。
「え…?」
 よく聞こえなかった、と聞き返した桜乃に、幸村は手を伸ばした。
 一度だけ、神様が機会をくれたのかもしれない…弱い俺の心を前に進ませる為の機会を。
 初めて感じたあの感情を、後悔と言うのなら…そうだね、やっぱり俺は、あんな思いは二度とゴメンだ。
 しかもそれを…君に関わる事で痛感するなんて。
「?」
 頬に手を添えられ、ちょっとだけ照れながらも桜乃は何だろうと小首を傾げた。
「…卑怯かもしれないけど…埋め合わせは一生かけてするつもり」
「え?」
 君の気持ちを知ってる上でこんなコトをするのはフェアじゃないけど、気紛れや遊びでした訳じゃないって、必ず証明してみせるから…今は静かに聞いてくれる?

『す・き・だ・よ』






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