魔法使いと灰被り娘 第一節


 ある所に、桜乃という娘がおりました。
 貴族の娘である彼女は、生まれてから暫くは、優しい父と美しい母の許で、非常に幸せな日々を送っていました。
 しかし或る日から、母親が急な病に伏せってしまい、彼女は遂に神の許へと召されてしまったのです。
『桜乃や、お母さんはもうお前の傍でお前の幸せを見守ることが出来なくなってしまいました。神様がどうしても待てないんですって…でも、お前はとても優しい子…いつかきっと、世界一の幸せが貴女に訪れるでしょう。弦一郎、蓮二…桜乃をどうか守ってあげてね』
『奥方…!』
『奥方様…』
 母親に縋る幼い桜乃の隣には、獣でありながらまるで人の様に、控える二匹の獣がおりました。
 一匹は、見事な毛艶を誇る一匹のシェパード。
 そしてもう一匹は、英知を誇る瞳を輝かせているシャム猫です。
 彼らは桜乃がこの世に生を受けた時からこの家に飼われており、彼女にとっては兄の様な存在でした。
 実は、桜乃の母親は魔法使いの一族の血を引いており、彼女の名付け親は一族の中でも特に力が強い魔女でした。
 だから、桜乃は生まれながらにして動物の声を聞くことが出来たのです。
 幼い頃より桜乃と共に過ごしてきた二匹は、子供の様に自分達を育ててくれた桜乃の母親には並ならぬ恩義を感じており、また桜乃に対しても、親心、兄心にも似た気持ちを抱いて、彼女をしっかりと躾けてきたのでした。
『お母様、いやです! 桜乃をおいていかないで…!!』
 幼い桜乃は泣いて泣いて母親を引きとめようとしましたが、その涙が神の手を押し留めることはありませんでした。
 寒い冬の雪降る夜…桜乃の母親は静かに安らかに天国へと旅立っていったのです。
 母親の葬儀は盛大に執り行われましたが、それが桜乃の心の悲しみを癒すことはありませんでした。
 桜乃は日々、母親を想っては泣き暮らしておりましたが、それからまもなく、彼女の父親は、新しい母親を家に連れて来たのです。
 新しい母親は他に二人の娘も家に連れてきました。
 彼女は桜乃の母親とは大違いで、贅沢が大好きで意地悪で、鼻っ柱が高い高慢ちきな女でした。
 そして彼女の二人の娘も、母親とそっくりだったのです。
 三人は、最初こそ桜乃に優しくしていたものの、多忙な父親が家を空けるとすぐにその本性を現し始めました。
 桜乃を小間使いの様に扱い、彼女に辛くきつい仕事ばかりを与え始めたのです。
「召使がドレスなんて着ているんじゃないわ」
 上の姉はそう言って、桜乃が纏っていたドレスをびりびりと破き、代わりに薄汚れたつぎはぎだらけの服を投げつけました。
「仕事を少しでもさぼったら、鞭で引っぱたくからね」
 下の姉は、桜乃に休む暇すら与えず、常に鞭を持って脅していました。
 そんないじめは、軽くなることもなければなくなることもありませんでした。
 何故なら、どんなに辛く当たっても、桜乃の心の強さと清らかさは翳ることはなく、生まれ持った美しさもどんなぼろを着ていても滲み出てしまっていたので、二人は桜乃に激しい嫉妬を感じていたのです。
 桜乃は、辛く苦しい日々の中でも、亡き母の言葉を胸に、必死に、健気に生きておりました…


『もう許せん! あの無駄に肥え太った女共! 土足で我らが亡き奥方の居場所に上がり込みおって、盗人猛々しいわ!!』
『落ち着け弦一郎…奴らには人の言葉も獣の言葉も通じない…或る意味、希少な生命体だ。怒るだけ損だぞ』
 その日も、強面のシェパードは怒りに尾をぶんぶんと振り回しながら、部屋の中をうろつきつつそんな暴言を吐き出していました。
 対する理論派の蓮二は、ピアノの上で身体を横たえながらも何かを思案している様に瞳を光らせています。
『ではどうしろと!? 俺達が大人しくしていても、アイツらは決して己を改めたりはせんだろう! 可哀想な桜乃は相変わらずメイド以下の様にこき使われ…このままでは亡き奥方に会わせる顔がない…』
『俺達が声を上げても改めたりなどするまいよ……しかし、確かに奴らの行為は目に余る…何とかせねば』
 このままでは、あのか弱い少女が三匹の豚にいびり殺されてしまう…
 二匹がそんな事を考えながら、屋敷の中の一室で首を捻っている時、桜乃はいつもの様に台所で下の姉から嫌がらせを受けていました。
「いいこと、桜乃。この籠いっぱいに入った緑の豆と白い豆を、ちゃんと一つ残らず間違いもなく、それぞれ別の籠に選り分けるのよ。終わるまで寝ることは許さないからね」
「……はい、お義姉様」
「本当はもっと仕事を与えてやりたいトコだけど、生憎、これから暫くはアンタに構ってらんないのよ。お城の王子様が近々、お妃様を選ぶ為に舞踏会を開くんですって。しっかり身体を磨いておかなきゃいけないのに、こんな汚れた場所で臭い匂いなんか付けられないでしょ。いいわね、しっかりやっとくのよ」
 ぞんざいに言い捨ててから、下の姉はその場から立ち去り、後には桜乃一人が残されました。
 目の前に堆く積まれた緑と白の豆をより分けるなんて、普通の人間では三日三晩掛かっても無理です。
 しかし桜乃は、籠から少し離れると、壁の足元の部分が崩れた穴に向かってこっそりと囁きました。
「ねぇねぇ、みんな。緑の豆と白の豆、選り分けるのを手伝って?」
 すると…
『…ん! 仕事かい!?』
『こりゃまた大きな山だな。けど、俺らにかかりゃああっという間よ』
『お前さんはゆっくり休んどきんしゃい、桜乃』
『では失礼して』
 大きなハツカネズミが数匹穴倉から飛び出してきたかと思うと、あっという間に豆の山に駆け上ったかと思うと、物凄い速さで豆を選り分け始めたのでした。
 人が一つの豆を選んでいる間に、一匹が既に五つは選り分けを済ませている速さです。
「ごめんね、みんな。いつも手伝ってもらって」
 詫びる少女に、ネズミの内、少し小柄で毛が赤みがかっている一匹がぴょっと首を上げて応えました。
『おっやすい御用だって! 俺達こそ、ネズミ捕りに捕まってたところを助けてもらって、こうして住まわせてもらってるもんなー』
 実は彼らは、本来は駆逐されるべき害獣でありましたが、言葉の通じる桜乃によって救われ、以後、この家の台所に間借りしているのです。
 桜乃が日々、決められた餌を与える代わりに、台所を汚さず、荒らさないことが条件でしたが、彼らはそれをよく守りました。
 しかもその上、助けてくれた桜乃が身内にいじめられている現場を目の当たりにしたネズミ達は、それから出来るだけ彼女の力になろうとしたのです。
 他の家では隅の汚れだとか害虫だとかで賑やかになる事でも、彼らが夜中にこっそりと掃除や、余所者の駆逐に貢献してくれていたお陰で、桜乃の仕事量はかなり少なくなっておりました。
『お前さんのお陰で、あの弦一郎達からも見逃してもらっとるんよ。感謝しとる』
 ネズミの中で最も艶やかな銀色に輝いていた一匹は、先住者の二匹について言及し、小さな笑みを零します。
 あの二匹は、この界隈の獣世界に於いて『首領』、『参謀』と呼ばれる程の実力者。
 奴らの領土に部外者が侵入するなど不可能であり、かつて忍び込もうとした猫やネズミがどれだけ屍の山を築いたことか。
 しかし、それだけ堅固な守りがあるという事は、中は安全が保障されているという事であり、桜乃という縁を通じて自分達がここに居る事が出来るのはネズミ達にとっても僥倖なのでした。
「うふふ…最初は弦ちゃんもぶつぶつ言っていたけど、最近はみんなを褒めることもあるのよ? 仲良くなって良かったね」
(弦ちゃん…)
(仮にも獣界の裏の顔役に…まぁ俺達も似たように呼ばれているけどよい)
 違和感ありまくり〜とみんなが思ってるところで、彼らハツカネズミの中でも最も毛色が暗色の一匹がきょとっと辺りを見回しました。
『んん…赤也はどうした? またサボリか…?』
「え?」
 桜乃が見回してみると、確かに一匹、姿が見えません。
 いつも腕白で、彼らの中でも最も紅いルビーの様な瞳が自慢のネズミがいませんでした。
 では、そのネズミは何処にいるのか…答えは、屋敷の中にありました。
 彼は或る貼り紙を口に咥えて、屋敷の廊下を疾走している最中だったのです。
 口が塞がっていながらも鼻歌を歌いながらちょろろ〜〜っと廊下を走っていた彼でしたが、いきなり背後から背中を押さえつけられ、その場にべたっと前のめりに倒れてしまいました。
『のごっ!!』
『…この時間から廊下を我が物顔で走るとは良い身分だな、赤也?』
 聞こえてきたのは低い声…前足でネズミを押えつけた犬がきつい視線で赤也を見下ろしています。
 サボリ癖のある赤也にとっては、厳格な性格の弦一郎はまさに鬼門でした。
『むぐああああ、こっ、この肉球の踏み具合は弦一郎の旦那〜!? ギブギブ!!』
『誰が旦那だ!』
 更にのしっと前足で踏まれ、赤也はじたばたと四肢をばたつかせながら必死に相手に訴えました。
『と、とにかく話を聞いて下さいってば! ニュースっす、ニュース!!』
『桜乃の手伝いもせずに何を遊び呆けとるんだ…ニュースだと?』
 そう弦一郎が応えている隙に、蓮二がその場にひょいと軽い身のこなしで現れると、赤也が口から離した貼り紙を器用に前足を使って広げました。
『…ほう』
 赤い口を開き、蓮二が小さく唸ります。
 実はこの屋敷の中の獣達の内、最も知識が豊かである蓮二は、人語を話すことは出来ずとも、文字を解読することは可能でした。
『? 何が書いてある? 蓮二』
『この国の王子が、妃を決める為に舞踏会を開くのだそうだ…身分ある女性を城に招き、器量を見定めるつもりらしい』
 そして続けて、蓮二はとんとんっと前足でその貼り紙を数度叩いて頭を振りました。
『これは確かにまたとないチャンスだ…俺達の妹分でもある桜乃ならば、十分な器量を備えている。王子のお眼鏡に適えば、一生、楽をして暮らせるだろう』
 蓮二の絶大な自信溢れる言葉に、弦一郎も疑うことなく嬉しそうに頷きました。
『そうか! それは願ってもないことだ! 早速桜乃をその舞踏会とやらに連れて行かねば』
『待て待て、弦一郎。先ずは桜乃に参加の意志を確認しよう。無理強いはしたくないからな』
『む…確かにその通りだ』
 それから弦一郎と蓮二は、赤也も連れて例の貼り紙を携え、桜乃が働いているだろう台所へと急ぎました。
『桜乃、桜乃』
『あら、弦ちゃんに蓮ちゃん…赤也くんもどうしたの?』
『桜乃、舞踏会に行かないか』
 先ずは弦一郎が相手に切り出し、続けて蓮二が言った。
『王子が妃を決めるのだそうだ。お前ならば、野性の俺達から見ても十分に美しく、マナーも完璧だ。きっと良い結果になると思うのだが…』
「ああ…」
 二匹が進言し、傍で聞いていた赤也は長い尻尾をぴこぴこと揺らして期待の眼差しで桜乃を見上げていたのですが、彼女はちょっと戸惑いの表情を浮かべると、残念そうに首を横にふりました。
「ううん…残念だけど、私、それには参加出来ないの」
『え? 何で!?』
 意外そうな声を上げた赤也に続き、他のハツカネズミ達も豆の選り分けを中断し、ちょろちょろと彼女の周囲に集まってきました。
『何でだよい? 桜乃』
「多分、その日はお義母様もお義姉様達も参加されると思うわ…きっと私は留守番として残らないといけないから…それにもし行けたとしても、こんな身なりじゃ入れる訳ないもの」
 そう言いながら、桜乃ははぁ、と溜息をつきながら自身のみずぼらしい身なりを眺めました。
 過去に本当の母親から譲ってもらった沢山のドレスは、もうあの三人に奪われ、一つも自分の手許には残っていなかったのです。



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