『人間は自前の毛皮を持っとらんからのう…いちいち着脱して面倒な限りじゃな』
『けど、着る物ってそんなに重要なのか? 俺達にとっては暖を取れたら関係ないが』
 銀の毛並みを持つネズミと暗色系のネズミが話しているところで、蓮二がふむと首を軽く振りつつ呟きます。
『そうだったな…俺とした事が失念していた…人間にはその者の美しさだけでなく、服や金貨など、外面を取り繕うものも必要なのだったな』
『ふん、何と面倒臭い』
 親友の言葉に弦一郎が鼻を鳴らし、がちりがちりと自前の牙を噛み鳴らしました。
『俺達獣の世界は弱肉強食、頼れるものは力のみ。逆に言えば、敵を引き裂く牙と爪があれば、大抵の望みは叶えられるものを…』
『とか言って、非力な桜乃にはべったべたに甘いじゃないスか、弦一郎の旦那』
『……』
 余計なツッコミをした所為で、再び弦一郎からの厳しい折檻を受けることになった赤也が『あ”〜〜〜〜〜っ!!』と向こうで悲鳴を上げているところに、するんと流麗に動いたネズミが桜乃の傍へと寄りました。
『桜乃さん…私達に出来る事はありませんか?』
「…ううん、大丈夫、私はここでも十分に楽しいよ。皆がいてくれるもん、一人じゃないから平気」
『……』
 蓮二が無言で見つめている向こうで、桜乃は再び豆の選り分けを再開しました。
「さ、頑張って最後までやろう? もうすぐ終わるし、そしたら夕食の準備に掛からないとね」
 そんな桜乃がネズミ達と一緒に作業に勤しんでいる間に、蓮二は赤也を前足でころころと転がしていた弦一郎を止め、一旦台所から引き揚げました。
『どうした蓮二…』
『人間とは面白い…心で思っている事とは逆の事を言ったり行動したりするのだ。彼らはそれを『嘘』と言う。桜乃は、本当は舞踏会に行きたいのだ…俺達に心配を掛けさせまいとあんな事を言ってはいるが…』
『…不憫な娘だ…しかし俺達には人間の服など手に入れる事は出来ん。誰かから奪っても、それを桜乃が身につけたりはするまいな…』
『うむ…』
 暫く二匹は沈黙を守っていましたが、突然弾かれた様に蓮二が顔を上げました。
『そうだ! 弦一郎』
『む?』
『奥方は亡くなられてしまったが、桜乃にはまだ血の繋がった親戚が存在する。今は彼女の人生の一大事、こちらから頼めば、もしやしたら手を貸してくれるかもしれん。親戚の女性は非常に強い魔力を持った魔女、桜乃が俺達と言葉を交わせるのもその魔女のお陰だ』
『…成る程』
 相手の提案に、弦一郎も深く頷きました。
『それはいいな。同じ人間であるのなら、人間の世界についても熟知していよう。助勢を頼めるなら…』
 そして二匹は再び共に、うんと頷き、そして、その夜から実行に移ったのです。

 深夜…
『……起きているか、お前達』
 屋根裏部屋の中で、そんな獣の唸り声が響きました。
 ここは桜乃の唯一与えられた私室でもある場所…そこに、弦一郎の声がひそりと響いたのです。
 桜乃は今日一日の疲れにぐったりと身体を古びたベッドに横たえ、暫しの眠りに就いており、起きる気配はありません。
 火の気もない部屋は凍えるほどに寒いものでしたが、彼女は弦一郎や蓮二、ハツカネズミ達に身体を包まれる様に囲まれており、布一枚でも十分に暖を取れておりました。
『んん…何だ、弦一郎?』
『まだ朝じゃないだろい?』
 黒の毛並みと赤の毛並みを持つネズミ二匹が、先ずは目覚めて声の主に問い掛けます。
『ジャッカル、ブン太…それに雅治に比呂士、赤也…お前達に頼みたいことがある』
 ネズミ達に、弦一郎に続けて蓮二が或る頼みを申し出ました。
『今から旦那様の部屋に忍び込んで、そこから白紙の便箋と封筒、ペンとインクを運んできてほしいのだ…これは桜乃の幸せの為に是非必要な物。どうだ、出来るか』
 蓮二の頼みに顔を挙げ、銀の毛並みを月光に煌かせながら、雅治と呼ばれたネズミが不敵に笑います。
『何じゃあ? 桜乃の幸せとまで言われたからには、やらん訳にはいかんじゃろ?』
『お任せ下さい、そういう仕事は我々にとってはお安い御用』
『ZZZZZ…』
 比呂士と呼ばれたネズミが快く引き受けた一方で、赤也はふてぶてしくもまだ惰眠を貪っています。
『……』
 再び、弦一郎が赤也で前足の肉球刺激運動を始め、相手が『の”あ”〜〜〜〜〜〜っ!!』と身悶えている間に、他のネズミ達は一斉に行動を開始しました。
 彼らしか知らない、家の各所に通じる抜け穴を走りぬけ、彼らは桜乃の父親である貴族の書斎へと辿り着きました。
 仕事で留守がちな彼の部屋ですが、娘の桜乃の掃除の成果で、ここはいつもぴかぴかです。
『はぁ〜〜、相変わらずキレーな部屋だなぁ』
 赤い毛並みのブン太がひくひくと鼻を動かして辺りの気配を探りながら言う脇で、ジャッカルが早速机に向かい、脚を器用に駆け上りました。
 続けて他のネズミ達も一斉に机の上に上り、目的の品物を探し始めます。
 ペンとインキは既に机の隅にきちんと置かれていたのですぐに見つけられました。
『後は便箋じゃのう…』
『この棚が怪しいですね、ちょっと引き出してみましょう』
 机の前方に置かれたレターボックスに目敏く目をつけた比呂士が一つ一つ、棚を引き出しては覗き込み、目的のものがないと分かると再びぱたんと律儀になおしていきます。
 そして、最後の棚を引き出したところで、彼はようやく目的の未使用の便箋と封筒を見つける事が出来たのです。
『ああ、これですね、では頂いていきましょう』
『ちょっと待ちんしゃい、一枚だけでは心許ないぜよ。もう一枚二枚、持っていってもよかろ』
 雅治も続けて数枚を丸めて口に咥えると、彼らは部屋を元の通りに直すと、再び桜乃の眠る屋根裏部屋へと戻って行きました。
『どうだった? 首尾は?』
『バッチリだぜい』
 弦一郎の問いに答え、ネズミ達はわらわらと得物をその場に置きました。
 高級なペンとインキ、触り心地の良い便箋とまっさらな封筒…申し分ないものでした。
『うむ…確かにこれならば……よし、では…』
 納得した蓮二は、器用にインク瓶の蓋を口で開けると、続けてひょいっとペンを咥え、ちょんちょんとインクを筆先につけ始めます。
『何してるんだ? 蓮二』
 ジャッカルの問いには、口が塞がっている蓮二の代わりに弦一郎が答えました。
 あまり長く桜乃から離れていると、彼女が凍えてしまうので、ネズミ達や弦一郎は再び彼女の傍に寄り、暖を与え始めています。
『手紙というものを書いているのだ。離れた人間達が互いに意志の疎通を図る道具ということだが、蓮二は人の文字を書くことが出来るからな…これで、桜乃を助けてもらうように、魔女に頼んでみるのだ』
『魔女…来てくれるッスかね』
『…ん? 赤也、お前ってまだら模様だったか?』
 ふと、闇色に近い色合いのジャッカルが赤也に向かって尋ねました。
 相手の毛は真っ白だった筈でしたが、何故かくっきりと黒いまだら模様が点々と刻まれており、対する赤也はずーんと沈んだ顔で答えました。
『……弦一郎の旦那の足跡ッス』
 そう言えば、さっきも散々踏まれていたな…とジャッカルは思い出しますが、それでどうなる訳でもありません。
『…ああ…えーとまぁ、何だ……に、似合うぞ、お前らしくて』
『……そッスか、似合うッスか…』
 足蹴にされた証が似合うというのは、どうなんだろう……
『ジャッカル君…半端な思い遣りは時として残酷なものですよ』
 比呂士の言う通り、言われて更にずずーんと深く落ち込む赤也を他所に、蓮二達はまだ熱心に作業に取り組んでいます。
『俺達は人ではないが、魔女が耳を傾けてくれることを願うしかない』
 蓮二が、多少はよたっているもののしっかりと人の文字を綴っていくのを眺めながら、弦一郎は縋る思いでそう答えます。
 最早、自分達にはどうにも出来ない…魔女の力で、何とか桜乃の未来を切り開いてほしい。
 そんな全員の願いを込めた文章を書き終えると、蓮二は、器用な前足で書簡を折り畳み、それを封筒に入れました。
 後は、それを再び台所に運んだネズミ達が、米粒を潰した糊で封をし、最後にその上に蓮二がぽん、と暖炉の煤で肉球の印を押して出来上がり。
『うむ、なかなか良い見栄えだ』
『切手というものはどうする?』
『魔女に送る場合にはそのままポストに入れたらいいらしい…では、最後の仕事だ』
『がってん承知だいっ!』
 そしてネズミ達は、外に封書を運び出し、最寄のポストにすとんとそれを投函したのです。
 どうかどうか、魔女が桜乃をこの世で一番幸せにしてくれますように…
 心からそう願いながら、彼らは桜乃に内緒で、魔女へ手紙を託したのでした。


 魔女の家…
「おや、困ったねぇ」
 送られてきた手紙を見た魔女は、長い白髪を揺らしながら暖かな部屋の中をゆっくりと歩いて、傍のお気に入りのソファーへと身体を休めました。
 封筒に残されていた肉球の印と、多少おぼつかない筆跡は、まるで子供の遊びを思わせましたが、手紙の文章は非常に整っており、並ならぬ知性を伺わせました。
 しかも、その送り主の一部は、魔女も知っている存在の様です。
「あの子猫と子犬も随分と立派になったじゃないか、さぞや桜乃も可愛く育っているだろうけど…これは困った」
 まさか自分が遠方にいる間に、母を亡くしたあの娘がそんな苦労をしているだなんて…
 出来ればすぐにでも駆けつけて、手助けしてやりたいところなんだけど…
「…う〜ん」
 魔女がこの日三度目の唸り声を漏らした時でした。
 とんとんと家の扉がノック音を伝え、続けてそれが開いて向こうから一人の若者が現れました。
 魔女とは対照的に漆黒の髪を持ち、肌は透けるように白く、一見すると非常に美しい人形の様です。
 しかし、輝く瞳の瞬きと、流れる様な優美な動きは、確かに彼を生きた人と知らしめるものでした。
 全身を黒のフードに包んだその若者は、手に小瓶を携えており、魔女を見ると首を傾げて口を開きました。
「御祖母様、頼まれていた薬を調合してきました。腰の具合はどうですか」
「ああ、精市。わざわざ遠方からすまないね」
 魔女の孫らしいその若者は、ソファーに近寄って、彼女に直々に小瓶を手渡しました。
「どうぞ」
「有難うよ…やれやれ、どんなに強力な魔法を操っても、寄る年波には勝てないよ。まぁ、お前が優秀だから代わりの仕事も安心して頼める分、まだ恵まれているんだろうけど…」
「何を言ってるんです。俺だってまだ見習いなんですから、もっとしっかりして下さい」
 苦言を呈する孫にはいはいと頷いていた魔女は、ところで、と別の話題へと話を移しました。
「お前がここに来るのは今年で既に一万飛んで二百三十二回目だけど、恋人はいつになったら連れて来てくれるのかねぇ…」
「俺、まだ十代ですよ。それに興味もありませんし」
 つれない返事を返す精市に、魔女はやれやれと溜息をつきました。
「はぁ…呑気な田舎で魔術に没頭させたのがまずかったかね…刺激の多い都会にでも行けば、少しは変わってくれないもんか……あ、そうだ」
 ふと、何から妙案を思いついたらしい魔女は、精市をぴっと指差して言いました。
「折角来てくれたんだからこの際お願いしようかね、精市や。お前、私の代わりに或る街に行って、私の名付けた娘の力になってやってくれないかい?」
「え…娘?」
 不思議そうに反応する精市に、魔女は手にしていた書簡を相手へと手渡しました。
「桜乃と言うんだけどね…母親を早くに亡くして、まぁそれだけでも不憫なんだけど、最近新しく来た義理の母と姉達に随分と酷い仕打を受けているらしい…それを見兼ねた獣達が、彼女を王子の妃にしてほしいと要請が来たのさ」
「……」
 大人しく聞いていた孫でしたが、やがて彼は微妙な表情で答えました。
「…不憫なのは分かりますが、いきなり要求が図々しいですね」
「獣達には人間の幸せは分からないもんだよ、それに女にとっては美しい城に住み、優しい王子様と暮らすのは至上の夢だからね。あながち的外れな願いでもないだろう」
「俺、課題で忙しいんですけど」
 これ以上手間をかけさせるなと言いたいのか、孫はかなり受諾を渋っている様子です。
「何言ってんだい、どうせ首席間違いなしの癖に…」
「それとこれとは話が別です」
 なかなか折れようとしない孫に魔女は呆れた視線を向けましたが、それからすぐにまた別の案を出してきました。
 他の要求であれば自分が引いていたかもしれませんが、これは孫に理由をつけて街に出す滅多にない機会なのです。
「…お前が通っている魔法使いの養成学校の理事は、私の茶飲み友達なんだよ」
「?…そうなんですか?」
「お前がこの仕事を無事に完遂したら、課題は無しにしてくれるように根回ししておこう」
「魔法使い云々言う前に、人としてどうなんですかソレ」
「引き受けなかったら内申書がどうなるか楽しみだねぇ」
「……祖母が孫を脅迫だなんて前代未聞ですが」
「嫌ならちゃっちゃと済まして帰って来たらいいじゃないか。どうせお前の腕ならこの程度の問題、すぐにでも片付けられる筈だよ」
「……」
 確かに…自分が本気になったら小娘一人、王子の許に輿入れさせるのは容易いかもしれないが…
「…俺の腕だけではどうにもならない部分もあるかと思いますよ。もしその娘が器量が足らなければ、上辺を繕ったところでどうしようもありません」
「それについては心配しちゃいないさ。彼女は亡くした母親に似て可愛い子だよ、それに優しいし、高貴な王子もすぐに目に留めるだろうさ」
 名付け親だからと言って、そこまでの贔屓はどうなのか、と思いつつも、仕方なく精市は彼女の要望に従う事にしました。
 意地を張らずに素直に考えたら、その方が自身にとっても益となるからです。
 かくして、あの獣達の願いとは多少異なりましたが、一人の魔法使い見習いが、桜乃の許へと出かけて行ったのです……



$F<前へ
$F=幸村リクエスト編トップへ
$F>第二節へ
$FEサイトトップヘ