魔法使いと灰被り娘 第二節
その日は、王子の開く舞踏会の初日…
桜乃の家は朝から大忙しでした。
「ちょっと桜乃、早く髪を結いなさいよ! 綺麗にしないと承知しないからね!」
「はい、お義姉様!」
「桜乃! そこのコルセットを巻いてしっかり締めて頂戴。少しでも細く見せて、王子様にアピールしなきゃ」
「はい!」
義理の母親も姉も、どうして王子の気を引こうかと躍起になっており、当然、桜乃は彼女達の身嗜みの準備に借り出されておりました。
三人は今日は朝からずっと食事を摂らず、お陰で夕方になっても台所は静かなものです。
ネズミ達にとっては嬉しいことなのですが、彼女達に付き合っている桜乃まで一食も食べていないのですから、歓迎など出来る筈もありません。
『けっ、そのままガリガリに痩せて消えちまえってのい、バーカバーカ』
『あれでリバウンドしたら、鞠つきが出来そうじゃのう〜』
桜乃の目まぐるしいまでの忙しさを目の当たりにしていた獣達は、一層あの義母と義姉に対する恨みと怒りを募らせつつ、桜乃の身の上を案じておりました。
いつもなら家の中を見回っている弦一郎や蓮二も今日は台所に避難しています。
下手に歩き回って桜乃の邪魔をしてしまうと、義母達に叱られてしまうのは彼女なのです。
やがて、家の玄関の扉が開く音と共に、あのヒステリックな三人の声が響いてきました。
『いいこと、ちゃんと留守番をしているのよ桜乃!』
『私達が帰って来るまでに、ちゃんと掃除も洗濯も済ませておかないと、明日の食事もないからね』
『お前は器量がないから城に行っても無駄なの。大人しく家で身の程を弁えておきなさいよ』
どうやら、上辺だけ塗り固めたお姫様達が出かける様です。
『…やはりあやつら、桜乃を連れて行くつもりではなさそうだな…』
『笑ったらヒビ入りそうッスね〜、何スかあの仮装』
こういう時には仲がいい弦一郎と赤也がこっそりと覗く向こうでは、三人を送り出した桜乃が肩を落としながら扉を閉めていました。
悲しそうで寂しそうな背中は、獣達の心をも深く沈めてしまいそうです。
『蓮二よ、まだ魔女は来んのか? もう今日が舞踏会の日じゃよ。王子が今日にでも妃を決めてしまったら最悪じゃ』
雅治が珍しく苛立たしげに言いましたが、最早蓮二にもこれ以上打つ手は残されていませんでした。
『もうとっくに手紙は魔女に届いている筈…やはり、俺達の願いは聞き届けられなかったのか…?』
そうしている内に桜乃は台所へと戻って来て、全員が揃っている事を確認すると、にこりといつもの様に笑いました。
舞踏会に行きたいけど行けない、悲しみを必死に隠しながら…
「あ、みんな、ごめんね今日一日は構えなくて…今からすぐにごはん作るね?」
『桜乃…』
どう慰めてやればいいのか…と心苦しく思いながら、弦一郎が声を掛けようと口を開いたその時でした。
「君が桜乃?」
「え…?」
獣の声ではない、人間の言葉…
そこに自分以外いる筈のない人間の言葉を聞いて振り返った桜乃の視線の先に、漆黒のフードを纏った若者が立っていました。
何処から入り込んだのか…台所には裏口がありましたが、桜乃は今日はそこの鍵は閉めたままです。
しかもこの沢山の獣達にも知られずに、気配さえ感じさせずに、どうしてここに立つ事が出来たのか…
黒いウェーブがかかった髪を揺らしながら、彼は桜乃を見つめてにこりと笑いました。
「うん…確かに素材はいいね」
「あの…?」
どなた様?と桜乃が尋ねるより早く、その若者に弦一郎が唸り声を上げて飛び掛っていました。
客人とも思えない訪問のやり方と、相手の纏う異様な雰囲気が、弦一郎の野性にけたたましく警鐘を鳴らしたのです。
『おのれ何者だ!! 桜乃に害なすものは許さんぞ!!』
普通の人間であれば例外なく慄き、逃げ惑ったことでしょう。
しかし相手の若者は、弦一郎の手荒な歓迎に聊かも動じる気配も見せず、軽く右手を振っただけでした。
「ちょっと黙ってて」
瞬間…
びしっ…!!
『!?』
まるで雷に打たれた様に、弦一郎は身体を強張らせ、かろうじてその場に踏み止まったものの、以降微動だに出来なくなってしまいました。
『弦一郎!?』
『かっ…身体が動かん…! こやつ、何をした!?』
蓮二が相手を気遣う一方では、その若者はゆっくりと足を踏み出してから改めて弦一郎へと視線を寄越すと、何かに納得した様に頷きました。
「君が弦一郎か…魔女に手紙を書いたのって君達だろう?」
『!!』
全ての獣達が彼の言葉に驚愕した反応を肯定と捉え、若者は…精市はにこりと笑います。
「そう……なら弦一郎、君はこれから俺の犬」
『貴様、俺を愚弄するかーっ!!』
身体を硬直させながらも必死にそれだけを叫んだ弦一郎に、何事か分かっていない桜乃が庇う様に縋りつきました。
「あのっ…どなたかは存じませんが、弦ちゃん達に酷いことしないで下さい! ここには、私が自由に出来るお金なんかありませんし、あげるものもないんです」
そういう桜乃を守ろうとしてか、ネズミ達が一斉に彼女の前に並び、キーキーと威嚇の鳴き声を上げ始めます。
猫もまた弦一郎と桜乃の前に立ち、その爪をむき出しにしながら毛を逆立てました。
「…やれやれ、お金か。どうやら俺は物盗りと思われているらしいね…ええと、これを書いたのは君か、蓮二」
そう言って、精市は懐から出したあの例の書簡を、蓮二の目の前に突きつけました。
『む…これは、俺が記した…!』
「御祖母様から預かって来たんだよ」
『預かったぁ!?』
ジャッカルが素っ頓狂な声を上げると、向こうはもう一枚の別の紙を出してきました。
そこには桜乃と蓮二しか読めませんでしたが、『委任状』と書いてあります。
「まぁ色々とあったんだけど、魔女が来られないから見習いの俺が代理で来たんだ」
『ふざけるな〜〜〜〜〜〜っ!!』
犬と猫とネズミ五匹分の絶叫はなかなかに聞き応えがあるものでした。
『何で有能な魔女から見習いに激しくレベルダウンしてるんだよい!! 詐欺じゃんか!』
「わぁストレートォ」
そこまで言う?と言いつつも、さしてショックを受ける様子もなく、見習いの若者は意外な少女の仲間達を見回し、楽しげです。
『…貴方がここに派遣されたのは、相応の理由があるという事ですか?』
あくまでも冷静に相手に尋ねた比呂士に、彼はうんと頷きました。
「俺が魔女の孫ってこともあったんだけどね、まぁこれで俺の課題もチャラになるし、ここは利害の一致を見たってことで…」
『チョット待て』
『今の後半の台詞が非常に気に掛かるんじゃが…』
『桜乃の人生の問題を、夏休みの宿題と同レベルで扱われるワケにはいかないんスけどね』
ジャッカルと雅治と赤也が揃って疑問を呈しましたが、向こうはあっさりと笑って切り返してきました。
「いいじゃない、ケチケチしなくても」
『そ・う・い・う問題ではないっ!!』
まだ硬直が解けない弦一郎がぎりぎりと歯軋りをしながら反論し、それに続けて再び桜乃が若者に尋ねました。
「あのう…そもそも貴方は…?」
「ああそうだった、肝心の君はまだ何も知らなかったんだね…俺は君の名付け親の孫で精市って言うんだ、宜しくね。早速だけどこっちにおいで、歩きながら話そう、時間もないし」
「?」
「…君達も来てもらうよ。この子の為に一働きしてもらいたいから」
そう言うと、弦一郎の金縛りも解いて、彼は桜乃と獣達を連れて、台所の裏口から畑の方へと移動しました。
「御祖母様から頼まれてね…君を舞踏会に連れていくようにって…ああ、これは見事なかぼちゃ畑だ」
「あの、でも私は…」
何も、着る物も持っていないのです、と言おうとした桜乃の言葉を遮るように、精市は畑の中でも立派な造形をしたかぼちゃを一つ取り上げました。
「よしこれがいいな…じゃあ、大通りに行こうよ、桜乃」
「え…」
精市が桜乃を連れて行く後を、犬が憮然としてスタスタ歩き、猫が興味深そうにひたひた歩き、ネズミ達は賑やかにちょろちょろと走っていきます。
そんな一団は、やがて街の大通りの脇に建てられていた銅像に辿り着きました。
それは、実に見事な、躍動感溢れる四頭の馬の銅像でした。
きっと彼らが生きている馬だったら、見事な駿馬であったことでしょう。
「これこれ、最初見た時から立派だと思っていたんだよね…よし」
精市はその場にかぼちゃを置き、そして銅像を見上げ、ぶつぶつと何かの呪文を唱え始めると、えいっと右の人差し指を振り下ろしました。
「さぁ、絢爛豪華な馬車になれ!」
精市がそう念じた直後、一筋の雷がかぼちゃと銅像に落ち、青い稲光が辺りを眩い輝きで照らします。
「きゃ…っ!」
その激しさと轟音に思わず両手で顔を庇った桜乃が、再び訪れた静寂にそろそろと手を外してみると…
「!…まぁ…」
そこには、かぼちゃの形を残した豪華な馬車籠と、それに繋がれた駿馬四頭が、ぴしりと居住まいを正し、出発の時を待っていました。
籠は金、銀、瑪瑙、水晶…ありとあらゆる宝玉が惜しみなく使われて繊細な模様を生み出しており、これ一つが見事な芸術作品でした。
駿馬達も見事な毛艶を誇り、その身体も野生で鍛えられてこそ手に入れられる様な、見惚れる程の美しさです。
『これは何と見事な魔法…!』
『おいおい、コイツ本当に見習いかぁ!?』
実は見習いという身分でありながらも腕は超一流だった若者は、出来上がった馬車を眺めて、まずまず…と頷き、次は獣達へと向き直りました。
「さて、次は君達だよ、高貴な姫君には彼女にかしずく従者が必要だ。先ずは…」
きろっとネズミ達を見回すと、精市は再び呪文を唱え、彼らに向けて人差し指を振り下ろします。
「君達は、麗しき従者へ!」
途端、ネズミ達の足元から白煙が立ち昇り、彼らの姿をかき消しました。
そして、煙が薄くなると共に、彼らの居た場所に、幾つかの人影が現れ、彼らは実体として桜乃の前に立ったのです。
それはまるで、従者の服を纏った何処かの王子達が一同に会している様な、異質な光景でした。
一人ひとりが精悍な顔立ちであり、身体もしなやかながらも力強く、全ての女性を虜にしてしまうような、そんな気品に溢れておりました。
「み、みんな…!?」
「うおお、これが人の身体か〜!」
ジャッカルと思しき肌の色の若者は、自身の身体を見回しつつ、初めて着る見事な装飾の服に驚き、喜んでいます。
「ひゃ〜っ! 上から見るって面白ェな! あ、桜乃も俺よりちっちゃい!」
赤毛の若者…ブン太は、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら桜乃を見つけると、抱きっと早速抱きついてきました。
「おう…なかなか具合はええのう。俺の髪もこれなら文句はないぜよ」
「服というのも良い感触ですね…いい緊張感が生まれます」
雅治と比呂士も、今の自分達の姿には満足している様子で、絹とビロードを使った服の肌触りを楽しんでいます。
そして、最年少の赤也もまた、初めての人としての姿とその経験にはしゃいでいました。
「おおっ! 身体はネズミの時よりちょっと重いけど、めっちゃくちゃ楽しいなコレ!」
そんな彼らを桜乃が驚いて見つめる間にも、精市はてきぱきと自分の仕事をこなしていきます。
「はい、みんな騒がない。君達は今はもう気楽なネズミじゃなくて桜乃の従者なんだからね。彼女に恥をかかすことがない様に、ちゃんと振舞ってもらわないと…ええと、君…」
「…ジャッカルだ」
「そうか、じゃあジャッカル、君は前に座って御者になってくれ。同じ獣同士、そんなに鞭を使わなくても馬達は言う事を聞いてくれる筈だよ。後の四人は、馬車の後ろに付いて」
獣達は、もう誰一人として魔法使いの見習いの腕を疑ったり、発言を軽んじたりはしませんでした。
獣世界は実力至上主義…力がある者に従うのが鉄則であり、彼らは精市を力ある者と認め、桜乃にその力を貸そうとしている彼に味方する事に決めたのです。
精市の言葉のままに、彼らは自分達の持ち場所につきました。
それを見届け満足そうに頷くと、精市は弦一郎と蓮二へ掛ける魔法を考えながら彼らを見遣りました。
「美しい姫君には、従者だけでなく、英知を与える執事と身を守る守護者が必要だ…演じてくれるよね、二匹…二人とも」
優しい口調で…しかし抗う事を許さない威圧感を孕んだ言葉と共に精市は微笑み、呪文を唱えながら彼らに向かって指を振り下ろします。
「さぁ、君達に相応しい姿に!」
そして二匹の周囲にも白煙が立ち昇り…中から二人の若者が現れました。
細身の涼やかな目元の若者と屈強な身体と眼光鋭い若者の二人は、当初こそ自分達の姿に驚いている様でしたが、彼らはすぐに自身たちに起こった出来事を理解し、そして精市へと視線を向けました。
「…二人とも、しっかりね」
頷いた二人を見届け、精市はゆっくりと桜乃へと近づき、そのすぐ傍へと立ちました。
$F<幸村リクエスト編トップへ
$F=幸村編トップヘ
$F>続きへ
$FEサイトトップへ