魔法使いと灰被り娘 第四節
「ああ、お帰り。なかなか戻らないから心配していたよ」
桜乃達が家へと戻ると、精市は不安げな面持ちで彼女達を待っていましたが、全員を見て安堵した様に微笑みました。
「…もしかして、ばれたのかい?」
そう尋ねたのは、対する桜乃が浮かない顔をしていたからですが、彼女はふるっと首を横に振りました。
「いえ…大丈夫です」
「そう…王子様は優しくしてくれたかい?」
想う男性に、他の男の事を尋ねられるのは桜乃にとって辛いことでしたが、それは相手の若者にとっても同じことでした。
しかし、聞かない訳にもいかないのです、自分はそれを叶える為にここにいるのですから。
「…はい、とてもいい方でした」
嘘ではない事実を述べた桜乃に続いて、蓮二がしかし、と首を項垂れます。
『またも、王子の求愛を受ける事は出来なかったのだ…人とは難しいものだな』
「え…」
聞き返した精市が、は、と口元を手で押さえ、顔を隠します。
本当は驚いたり、悲しんだりしなくてはいけない筈なのに、思わず、嬉しさで笑みが零れそうになったからでした。
『…!』
色恋には疎いものの、洞察力は優れている弦一郎が、初めて相手の異変に気付きます。
そして気付いた異変はそれだけではありません。
「…ごめんなさい、精市さん…でも、もういいんです、私…」
ふいっと目を逸らしながらも、頬を染めて俯き、詫びる少女の姿に、今度はネズミ達五匹ともが伸び上がって、ぎょっと瞳を限界まで見開きました。
獣とは違う人間の姿でしたが、彼女の身体から仄かに漂う香りは、野性にも馴染み深いものでした。
まさかまさかまさか…彼女は、桜乃は!!
そして、思慮深い蓮二にとっても、この時が全ての謎が解けた瞬間でした。
桜乃がついていた『嘘』が何であったのか…どうしてあんな沈んだ顔をしていたのか…どうして彼女が敢えて王子の求愛を拒むような行動に出ていたのか…
一つの結論を導き出すと、それがあまりにもぴたりと当て嵌まっていたのです。
そう、桜乃が恋しているのは城に住む王子ではなく、目の前のこの魔法使いの見習いだったのでした。
ここで獣達は初めて、二人の同じ…しかし通じていない想いに気がついたのです。
次の日、桜乃はいつもの様にみずぼらしい服を着て、家の掃除や洗濯に勤しんでいました。
相変わらず義母娘の罵声は厳しいものでしたが、今日はその数は随分少ないものでした。
どうやら、昨日桜乃が着ていたドレスを同じ様に仕立てようと、仕立て屋を呼びつけて色々と難題を持ち出している様です。
彼女達がずっとそうやって一室に篭っているお陰で、桜乃は久し振りに仕事の合間に屋根裏部屋へと戻ることが出来ました。
「…あ、精市さん」
「ああ、桜乃…」
中へ入ると、元の大きさに戻っていた精市が、窓から外の景色を眺めているところでした。
彼の傍には、すっかり慣れたネズミ達や、弦一郎と蓮二が控えています。
「今ね、この街を見ていたんだ。ここは沢山の建物があって、よく栄えているよね…遠くに見える城も立派だし、とてもいい景色だ」
「…そうですね、私もここから見える景色は凄く好きですよ」
正直、もう「城」という言葉を聞くだけで心が重くなる桜乃でしたが、向こうにはまるで他意がないので、そのまま遣り過ごすしかありません。
彼女は、景色を楽しそうに眺めている精市を、ずっと見つめていました。
王子様と舞踏会で踊りたい…そう思っていたのが、今はもう嘘の様です。
この魔法使いの見習いに出会ってからは、そんな願いより、彼と一緒にいたい…ただそれだけを願うようになっていました。
しかし、彼は自分を王子に嫁がせる為に来た人間なのです。
叶わない限りは一緒にいてくれるかもしれませんが、いつまでもそんな我侭が通らないことぐらいは桜乃も分かっています。
でも、どうしたらいいのか、それは桜乃にも分かりませんでした。
告白をするべきなのかもしれない…でも、相手にとってそれが重荷であったり、迷惑になったり…そうなりはしないだろうか…そんな不安が彼女を引きとめています。
「…桜乃、こっちにおいで」
「! はい」
呼ばれ、桜乃が精市の隣に立つと、彼は優しく彼女の肩に手を置きながら外の景色を別の手で示しました。
「俺の住んでいるところはここよりずっと田舎でね…こんなに沢山の人はいないけど、素朴でいい処なんだよ。自然も多いし、空気も綺麗で…君がもしこの景色しか知らないなら、びっくりするだろうな…」
「…そうなんですか」
「ふふ、人間にとっても魂が洗われる様な場所だから、皆にとっても遊び甲斐のある所だと思うよ」
とにかく、野性に戻るにはうってつけの処だからね、と言った後、ふと精市は景色を眺めていた目を細めて、ぽつりと呟きました。
「…ああ、でも少しだけ残念だ…」
「え?」
「ん…もっと早く御祖母様から君達の事を教えてもらっていたら、ウチに招待出来たかもしれないのに…」
「!」
若者の残念そうな声で紡がれた言葉は、桜乃にとってあまりにも魅惑的なものでした。
見たこともない彼の家が、しかし彼女の脳裏に鮮明に浮かびます。
穏やかな自然の中に佇む家、中はこじんまりとして、少し散らかっているかもしれないけど、それでも何処か、住む人に安らぎを与えてくれるような…
彼はゆっくりと椅子に座り、獣達は思い思いの場所でくつろぎ、そして私は…許されるのなら、彼の隣で笑っていたい…
その夢は、城で贅沢をして過ごすというものより、ずっとずっと光り輝く、尊いものの様に感じられました。
「…精市さん」
「ん? 何?」
「……行ってはいけませんか?」
「え…?」
「…今はもう…行けないんでしょうか? 精市さんの家に…」
「俺の家…?」
聞き返し、桜乃をじっと見下ろす魔法使いの見習いは、少しだけ困惑した様な表情で、暫く黙っていました。
そして、ちょっとだけ困った様に微笑み、ぽん、と少女の頭に手を置き、答えます。
「今は色々と忙しいからね……でも、全てが終わって落ち着いたら、みんなも連れて遊びにおいでよ」
そして、一言、付け加えました。
「…王子様の許しも、受けないといけないだろうから」
「!!」
柔らかな言葉が、鋭利な刃物の様に桜乃の心に突き刺さる様を、獣達は見ていました。
しかし、彼らの内の誰かが声を上げる前に、別の声が掛かります。
『ちょっと桜乃!? 寸法合わせに手をお貸しなさいな!!』
また、あの義姉の一人が、桜乃を下から呼んでいるのでした。
「…すみません。ちょっと行ってきます」
「うん…あまり無理をしないで」
優しい言葉を受け、桜乃がそそくさと部屋を出て行く様を見つめていた弦一郎は、それから再び精市を見遣りました。
桜乃がいなくなると、もう彼は外の景色へと意識を飛ばしています。
しかし、桜乃に先程語っていた様に、それを見つめて楽しんでいる様にはどうしても見えません。
寧ろ、何か、酷く辛い想いを抱え込み、じっとそれに耐えている様にさえ見えるのです。
『…蓮二』
『ん…?』
猫に問い掛けた犬は、若者の背中を見つめながら小さな声で問いました。
『俺は獣だ…人の事はよく分からん。だから、桜乃の幸せも、人の力がある、権力がある奴の許に行くことだと思っていた……まぁ、今もその一部は間違ってはいないと思う。強くなければ、愛した相手は守れない』
『……そうだな』
『しかし、一つ、失念していた…蓮二、権力があっても、愛していると言えない相手の許に行く事は…人にとって幸せなのだろうか…?』
弦一郎の問いには他のネズミ達も興味深そうに耳をそばだてていましたが、蓮二は少し考えて、慎重に言葉を選びながら答えます。
『…そうやって結ばれた人間の例は確かに存在する…しかし、どちらが幸せなのかという問いは、そもそも無意味だ。愛より力を欲する者にはそんな縁でも十分だろうし、愛を求める者はいずれ離れるだろう…しかし、これだけは言える』
そして蓮二は精市の背中を見つめて言い切りました。
『桜乃は、俺の知る限りでは力のみを相手に求める様なさもしい娘ではない…そもそもそういう娘であったのなら、彼女はもっと上手く人の世で立ち回っているだろう……但し、俺はそういう娘に付き従うのは御免だ』
『…そうだな』
それについては誰も異論を唱えません。
そうしている内に、イライラしていた赤也がきーっ!!と我慢の限界だとばかりに毛を逆立てました。
『何だよ何だよ!! まどろっこしいなぁ! つまりアレだろ!? 桜乃と彼がくっついたら全てが上手くいくんだろ!? じゃあ教えてやればいいじゃんか、桜乃の気持ちをさ!』
そう言って、皆が止めるのも聞かず、彼は精市の足元にちょろ〜っと走って行って、その裾を引っ張ろうとしました。
しかしそれを実行する直前、何やら、下が賑やかになって、全員の注意は一旦そちらへと向きました。
『何だ…?』
『大勢の人の声がするな…』
ジャッカルとブン太がぴこぴこと耳を動かしている間に、すいっと弦一郎が動きます。
『俺が様子を見て来よう…まぁ泥棒の類ではあるまい』
あんなに賑やかなのだからな、と言って、器用に階段を下りて玄関に向かった弦一郎は、そこに訪れていた客人たちを見てぎょっとしました。
見たことがある男達…城の従者達でした。
弦一郎と同様に、突然の高貴な者達の来訪に義母娘達が慌てていると、向こうの白髭をたくわえた長らしき者が、ひらりと一枚の紙を広げて彼女達の前に見せました。
「王子直々のお達しである。このガラスの靴に合う足を持つ娘を、王子は妃に迎えると仰せられた。我々はその命を受け、この国全ての女性の足を検めているところである。この家に住む女性は、例外なくこの靴に足を通す様に!」
その男の隣に控えた若い男が持っている赤いクッションの上に載せられているのは、間違いなくあの舞踏会の日、桜乃の足から落ちてしまった、ガラスの靴だったのです。
『〜〜〜〜〜〜っ!!!!!』
思わず全身の毛を立て、尻尾まで伸ばしてしまう程に驚いた弦一郎は、はっと背後を振り返りました。
そこでは、居合わせていたらしい桜乃が物陰からこちらを伺い、事情を知って真っ青になっています。
もう舞踏会にさえ行かなければ…と思っていたのに…
『…桜乃』
「弦ちゃん…お願い、私はここにいない事にして! お義母様やお義姉様は私をお呼びにはならないわ…だから、このまま…」
そう言って、彼女は逃げる様に台所へと向かってしまいました。
確かにあそこなら、城の者達も踏み込んではこないでしょう。
弦一郎は桜乃も気にはなりましたが、先ずは他の仲間にもそれを伝えねばと再び屋根裏部屋へと戻りました。
同じ獣仲間達には伝えるとして…あの見習いの若者には果たして伝えるべきなのだろうか…
ここはやはり、全てを伝え、そして桜乃の想いも伝えるべきなのだろうか…
全てを決めるには、あまりにも時間が足りません。
しかし、弦一郎はそれでも必死に考えながら屋根裏部屋の扉を開いたのです。
そこでは、他の獣達が自分の帰りを待っていました…が、どうした訳か、あの若者の姿が見えません。
『…精市は?』
おかしいと思い尋ねてみると、ブン太が不審そうに首を傾げながら答えました。
『それがよい…何でかは知らないけど、急に出て行っちゃったんだ…外を眺めていたけど、下を向いたら何となく表情が変わってさ』
『下…?』
下と言えば通りに面している筈…と思いながら弦一郎がひょいっと窓枠に前足を乗せて下を覗き込むと同時に、赤也が彼の脚を伝って背に昇り、続いて頭に昇って、便乗して下を見てみました。
『…!! しまったー!!』
思わず弦一郎は叫びました。
下の通りには、何台にも渡って止められている馬車!
きっと、家の中に入って来たあの城の従者達が乗って来たのでしょう。
あれだけ立派な馬車ならば、城から来たのだと想像するのは難しくはありません。
自分が精市に全てを話すか伏せているか悩み、決めかねている間に、相手はもう全てを察してしまっていたのです。
そうなると、彼が桜乃を王子の許に嫁がせる為に来たのなら…若者は彼女の為に、間違いなくそれを実行してしまうでしょう。
『大変だ!! 桜乃が城に連れて行かれてしまう!!』
『なに〜〜〜〜〜〜っ!!??』
最初こそ自分達も願っていた事でしたが、今は最早事情が違います。
彼らにとって一番重要な事は『桜乃が城に行く』事ではなく、『桜乃が幸せになる』事なのです。
今、城に連れて行かれたとしても、彼女が幸せになれるとは思えません。
彼らは弦一郎の叫びを聞き、驚きながらも夢中で部屋から飛び出していました。
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