「おっ、おっかえり〜二人とも」
「ただいま戻りました、文太様」
 桜と弦が宮に戻った時には、もう日は暮れていよいよ夜になろうかという時だった。
 彼らの姿を認めた文太が、ととーっと二人の許へと走り寄る。
「お土産は?」
「景様から、手鏡と化粧箱、貝合わせの貝を頂きました」
「ちぇ、そんだけ〜?」
「あと、都で流行のお菓子と海の幸を」
「ありがとー!!」
 わーいっ!と大喜びしている若者は、自分が貰えるものと信じて疑っていない。
「他の方々とも分けて下さいね」
「おう!」
 布で包まれた土産を受け取ると、文太はご機嫌でそれを頭上に抱えてぴょんぴょんと飛び跳ね、そんな相手に、弦は辺りを見回しながら尋ねた。
「…蓮と柳生は何処にいる?」
「ああ、外で星を観てる」
「そうか…」

 弦が所在を確認していた時、確かに蓮と柳生は宮を出て、その近くにある高台の上で満天の星空を見上げていた。
「…柳生、どうだ?」
「……三度、私は星を読みました…一度目は私自身を疑い、二度目は星を疑い…三度目にしてようやく、それは誤りではないと知りました」
 星空を見上げていた首を元に戻すと、彼は目を覆う黒布を取ることもないままに頷いた。
「蓮、星は告げています…幸と共に『桜姫』を赴かせるべきだと」
「!」
 普段の冷静さを僅かに失い、柳は身体を揺らしつつ扇を手の中で弄ぶ。
「真なのか、それは…」
「信じがたい事ですが…主に偽りを申す訳には参りません」
「…ふむ」
 すぐに自身の動揺を抑え、再び寡黙に考える蓮の姿は、流石に長き時を生きてきた妖のそれだ。
 彼は自らの胸の前で数回開いた扇を仰ぎ、やがてそれを閉じると同時に軽く頷いた。
「これを如何に取るかは幸次第…あの娘は拒む事はないだろうが、それだけに悩ましいところだな」
 そう言ったところで、そこに更に一人の妖が現れる。
 鬼火と共に姿を現したのは、銀髪の妖、仁王だった。
「おう、お二人さん…どうじゃ? 今日は星もよく見えるけ、読みやすかろ? 幸と行くのは誰になりそうじゃ?」
 どうやら、妖の中でも懇意にしている柳生の様子を見に来がてら、星見の結果が気になったらしい。
「仁王…」
 柳生が相手を呼ぶ傍らで、蓮が仁王に向き直った。
「どうやら、今回は今までと同じ様にはいかなくなりそうだ」
「はん…?」
 どういう事だ、と訝しむ仁王に、柳生は静かに再び空を振り仰ぎながら告げた。
「…星が、桜姫を選んだのです」
「!? 何じゃと…?」
 その言葉を聞き、銀髪の妖もまた、顔から笑みを打ち消した…


 景の間から戻って来た桜は、宮に帰ってから後も、ぼんやりと広間で考え込んでいた。
「幸様、もうすぐ集いに赴かれるのよね…私はきっとここでお待ちすることになると思うんだけど……私でも何か、お役に立てることってないかしら…」
 そんな事を何気なく呟いている彼女の後ろから、こっそりと相手を覗き込む人影があった。
 文太だ。
 姫から貰ったお土産を早速たらふく食べ、満足げな面持ちである。
 そんな彼は、桜がそういう呟きを漏らしているのを聞くと、すぐにその場から、
「おべんと、おべんと、おべんと」
と三回小さな声で言ってみた。
 すると…
「……あ、そっか。おべんとぐらいは作ってあげられるかも!」
 見事な誘導効果。
 早速その準備を!とそこから去っていった少女の姿を満足げに眺める文太の隣に、あーあ、と対照的な表情を浮かべた悉伽羅が近寄った。
「おいおい、またそんな勝手を…」
「いーだろい? もし俺が行く事になったらさ、おべんとあった方が嬉しいもん」
「選ばれなかったら?」
「ここで留守番しながらゆっくり食べる!」
「それはもう、おべんととは言わないだろう…」
 結局、お前は自分の腹を満足させたいだけだろう、と悉伽羅は思い切り糾弾してみたのだが、相手には全く通じていない。
「ほんっと姫が来てくれてから食事が楽しくなったよな〜〜、この執着捨てなきゃいけないなら、俺もうずっと妖のままでいいや、神になんかなんなくていい」
「何の神になるつもりなんだよ、お前は…」
 大体神になっても崇めてくれる人なんかいるのか?と心の底から悉伽羅が疑問に思っていると、更にその場に別の妖が現れる。
 悉伽羅や文太にとっても弟分の様な存在に当たる、赤也という者だった。
「あ、悉伽羅様に文太様、何してるんすか?」
「いや、こいつの行く末についてちょっとな…」
「何だよい、その言い方〜〜」
 ぶーっと頬を膨らませて抗議する文太を不思議そうに眺めていた赤也だったが、はっとその場に来た本来の目的を思い出した。
「そうそう! それよりもさっき、幸様の間が随分慌しい感じでした。お客かな…それにいよいよ、集いの時が近いみたいっすね」
「何? そうか…誰が来ているんだ?」
「よく分からないっすけど…少なくとも景様じゃないみたい」
「へぇ…こんな場所まで来るなんてなぁ…誰だろい?」
 そうは言ったものの、どうにも思い当たる節がない。
 そもそも自分達はこの山奥に篭って滅多に外界の神々とは交流は持たないのだ。
 最近は景と多少のやりとりは行っているが、これも例外的なもの。
 どんなに考えても納得のいく答えは出ないまま、文太は一度その考察については諦めた。
「今度の件についてなのかもな、やっぱ。それよりさ、幸と一緒に行くのって誰だろい。いつもの様に弦主と蓮主が行くのは確実だろうけどさ…俺、結構力には自信あんだけど」
 ぐっと胸の前で握りこぶしを作ってみせる文太に、赤也もへへっと笑いつつ両手を頭の後ろで組んだ。
「まぁ俺もっすけどね…行ってみてーなー」
「お前ら…別に幸は喧嘩売りに行く訳じゃないんだからな?」
「いじめられに行く訳でもないでしょ」
「……」
「……」
 赤也の一言は、悉伽羅のみならず、文太ですらもその口を閉じさせる。
(よくまぁあんな台詞が言えたもんだよな…)
 全員の総意は全く違わぬものだったが、彼らは目線で語り合うのみ留めていた……


「君だったのか…白(びゃく)」
「何百年ぶりかなぁ、幸」
 幸の間で、そんな挨拶が交わされていた。
 実に淡白で味気ない挨拶だったが、その会話の中には嫌悪や憎悪といった負の気配はない。
 宮の主である幸の座す前に、一人の若者の姿をした存在が立って相手を見下ろしている。
 仁王のそれの様に全ての彩を除いた訳ではないが、彼の髪は柔らかな秋のススキ野を思わせ、彼の者の瞳もその景色と同じく穏やかだ。
 幸と同様に実に美麗な面立ちの若者は、幸と同じ束帯姿だったが、その色は春の息吹を思わせる若草色だった。
 自身の住む宮に、約定もなくいきなり押しかけてきた相手だったが、幸はそれについて何も言う事もなく、彼に手を差し出して座るように促した。
「座って…君だけで来たのかい?」
「あっちはあっちで集いで忙しいからなぁ…ま、自分だけの方が身軽やし」
「それはそうだね」
 うん、と頷いたところで相手が座ったのを見届け、幸は、で?と切り出した。
「わざわざここに何の用なのか、聞いてもいいかな?」
「何やいきなりやなぁ…もう少し昔話とか弾む話でもせえへんの?」
「ふふふ…君の居る土地では世間話で懐事情を探り合うのも一つの挨拶だろうけどね、生憎ここは辺境の山奥だし、商人魂を持つ妖もいないんだよ」
「いや、別に行商に来た訳やないんやけどなぁ…まぁええわ、馬鹿話で顔色伺う必要もないならこっちも気が楽や」
 にこ、と朗らかな笑みを浮かべた白と呼ばれた若者は軽い口調でそう言うと、続けて、今度はその顔から笑みを一切消してこう言った。
「…次の集いで、幸はどうするつもりなんや?」
「何が?」
「惚けんでもええよ、余程の寝惚け頭でもなけりゃ次の集い…天意の意図は明らかやろ?」
「だから何が…? 吾は最近目が覚めたばかりだから、よく分からないんだけど」
「……ホンマに?」
「うん」
「……」
「気を遣わなくていいよ、確かに寝惚け頭だから…で?」
 のほーんとした態度の幸に、白は既に疲れた表情でかっくりと首を項垂れつつ、ここを訪れた目的を述べた。
「…次の集いで、天意はこの国を滅ぼすべきか否か…神々に真意を問うおつもりや」
「…」
 肩も揺らさず、眉も動かさず、淡々と幸は相手の言葉を受け止め、無言を守るだけ。
 その無表情からは、彼の心は神である白ですら全くと言っていい程に読み取れなかった。
「…ふぅん」
「お前もこれは流石に知っとるやろ? ここ最近の人間の煩わしさに、神々の一部に人間の存在そのものを駆逐しようっちゅう話が出とるんや。このままやと遠からず、この国の人はより戦いに心を奪われると」
「うん…それは知っているよ。確かに彼らは最近やけに血生臭く騒がしい…より良い鉄を得てから急にね。本当に、静かに土を耕していたらいいのに」
「それは吾も同感やねんけどな…流石に全ての人間を消し去るっちゅうのは幾ら何でもやり過ぎやと思う…人にも善良な奴はおるし、そこまで吾らが介入するべきでもないやろ」
「至極尤もだと思うよ、下界のことなど吾らの知ったことじゃない…で? それと吾と何の関係が?」
 そんな事を愚痴りに来たのかい?と幸が尋ねると、向こうの若者は微かに視線を幸へと向け、覚悟を決めた様に切り出した。
「…次の集い、天意は集った者達の意を汲み、最後の決を下す。幸、お前には何の考えがあるかは知らん、分からん。しかし、人を滅する事だけはどうか思い留まってくれんか」
「……」
「今は、神々の意も真っ二つに割れとる。吾は少しでも、人の善良な面を信じたいんや」
「だから人の為に手を貸せと…滅殺に同意するなと? 君も本当に変わらない。その左手、人の為に毒を受けて侵されながら、尚君は」
 人の側に立つというのか…?
 幸の何処か冷えた声に、白は薄い笑みを浮かべつつ目を閉じ、己の袖で隠された左手を、右手でそっと押さえた。
「…熊野と言う道をな、多くの人が通るんや。老いも若いも、男も女も、武士も乞食も、そんなものに関わりなく通りよる…見てもおらん吾ら神に、逢う為だけに…中には這ってでも、行き倒れになってでも、道を往こうとする者がおる。お前はそれを笑えるか?」
「…」
「確かに吾はその道を日々ただ見るだけや、高名な神ほど人に知られとる訳でもない只の土地神。しかし、それでも難儀な道を通ってゆく人々の笑顔を見とるとな…こちらの身勝手で、命まで追剥ぐ様な無体は流石に気が引けるんや」
 その言葉を言い終えると、白はゆるりと立ち上がった。
 それで、ここに来た目的は全て果たしたという様に。
「吾が、君の行為を天意に知らせたら、君は存在を許されなくなるかもしれないよ」
 神の決に、他の神が干渉する事は認められていないのだ。
 なのにここに来た相手に幸はそう言ったが、向こうは何の不安の色も見せずに笑うだけ。
「ああ…それこそあり得んわ。吾もそれなりに長く生きとる、神を見る目ぐらいあるんやで。ほな」
 そしてその言葉を置き、白はそこからふっと姿をかき消してしまった。
 つい数瞬前まではそこにいたのに、気配が完全に失われている。
 自身の住まう土地へと戻ったのか…
「……」
 しんと静まり返った間に、一人残った幸は何かを思い、黙していたが、やがてそこに新たな客が現れる…自身の僕である蓮と柳生だった。
「幸…誰か来ていたのか?」
 蓮の問い掛けに、瞳を開くと幸はそのまま笑顔で頷いた。
「…白が来ていた。集いの前に挨拶にね…それより、どうだった? 柳生の見立ては」
「星が伝えたのは一つだけ…実に単純な事でした、幸」
「ふうん…誰だい?」
「……桜姫を連れてゆくように…それだけです」
「!」
 微かに目を見開いた神に、二人の妖は視線を真っ直ぐに向けた。
 貴方はどうするのか…そういう問い掛けを込めて。
「……」
 人を思い遣る神と、つい先日まで人であった娘…これは何の因果だろうか?
「……さて、どうしようかな」
 くすりと笑った神はそんな事を呟いたが、既に心の中は決まっていた……



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