『お兄ちゃん、お兄ちゃん…』
「ん〜〜…? もう食えんって…」
『お兄ちゃん…』
「…ん?」
夜も更けた頃、誰かの呼び声によって悉伽羅は目を覚ました。
最初は真っ暗闇だったが、すぐに明り取りの窓から差し込む月光で、辺りの様子が知れた…しかし、相変わらずこの堂の中には悉伽羅の他に人の姿はない。
「…んん?」
『僕だよ…目の前にいるじゃない』
「………うお!? 地蔵が喋った!?」
びっくりして思わず身を引いた悉伽羅だったが、流石に妖であるだけこういう事例には普通の人間よりは慣れている。
驚きながらも相手をまじまじと見ていた彼は、地蔵の中に微かに感じた気配に、ああ、と頷いた。
「何だ、お前、亡者か…ああ、びっくりした」
正体を知っても十分に驚くべき事象なのだが、本人も既に人間ではないのであっさりと目の前の現実を受け入れる。
地蔵は本来地蔵菩薩と言い、此の世の苦難から人々を守り慰めるという有り難い菩薩だが、どうやらこの地蔵に宿るのは、仏ではなく只人の魂の様だ。
『あの二人のお願い聞いてくれてありがとね…僕もちょっと気になってたんだ』
よいしょ…と起き上がり、悉伽羅は胡坐をかいて肘をつく。
「そうか…まぁ、ほんの礼だ。こっちはこっちでここをねぐらにさせてもらってるからな…どうでもいいが、お前、もしかしてなりは随分小さい子供じゃないか?」
声から察してそう尋ねると、向こうはあっさりとそれを認めた。
『七つになる前に病気で死んじゃったんだ…もう二十年ぐらい前の話だけど』
「二十年…そりゃまぁ気の毒になぁ…で、それからずっとここにいるのか」
『うん…誰かがこのお堂を建ててくれて、それからここにいるよ。何でか分からないけど、ここから動けないんだ』
「…ふぅん、名前は?」
『忘れちゃった』
「……そうか」
親にも呼ばれず、他人にも呼ばれずに二十年か…
動けない…という言葉を聞いて何かを思ったらしい悉伽羅だったが、彼はそこでは特に何も語ることはなかった。
『ねぇ、お兄ちゃんはお坊様なの? 変わった肌の色だね』
身なりからすると尤もな質問だったが、悉伽羅はちょっと考えながら正直に言った。
ここで嘘をついて誤魔化す意味がないと判断したのだ。
「あー…違う違う、まぁそういう振りをしてるだけでな…んなご大層な身分じゃない。色はまぁ、生まれつきでな」
『そう…何処かに行く途中?』
「いや…別にあてはないんだ。ぶらぶらと世の中を見ているだけ」
それを聞いた地蔵の中の少年は、少し静かになってから彼に改めて尋ねた。
『…もうちょっとここにいてくれないかな?』
「んー?」
『もうちょっとだけ、ここにいてほしいんだ。僕一人だと退屈で…ずっとここに一人でいるの、飽きちゃった。お話し相手になってくれないかな』
「んん…話し相手ねぇ」
どうしようか…と思いはしたが、そう長く考えることもなく彼は相手の要望に答えることを決めていた。
どうせ気紛れな旅だし、急ぐ用もない…いつかは己の神の許へ戻らなければならないが、幸い相手からは『ゆっくり家出しておいで』と言ってもらえているし…少しの逗留ならいいだろう。
二十年…幼かった子供が一人で過ごすには、辛い時間だった筈だ。
その間の僅か数日間、話し相手、暇潰しになるぐらいなら、と悉伽羅は少年の希望を呑んだのだった。
堂には殆ど人は来ず、来てもすぐに立ち去ってしまうだろう、と思っていた悉伽羅だったのだが、その思惑が少しずつずれ始めたのは、彼がここに来てから数日の後だった。
近くの村の大人達が数人、夕刻に堂を訪れてきたのだ。
おそらくは、昼の野良仕事を終えて、そのままここに来たのだろう。
(? 当番で堂の掃除でもしに来たのかな?)
一応、毎日の掃除は俺もやっているが…と、悉伽羅は相変わらず相手には自分を見えない様に術を掛けて、こっそりと地蔵の裏で静かにしていると、大人達の内の一人が、他の男に疑わしげに声を掛けた。
「しかし、本当に?」
「間違いないって。ウチの娘っ子達が、この地蔵様にもらったって持ってきた薬を飲んだら、嫁の病気があっちゅう間に治っちまったんだ! きっと、このお地蔵様には何かの力がある!」
(げげっ!! 何か、ちっと厄介なことになってないか…!?)
まさかこんな事態になってくるとは…と内心慌てていた悉伽羅だったが、勿論自分が姿を現すわけにもいかず、じっと息を潜めていると、来ていた大人達が一列に並んで地蔵に拝み始めた。
「お地蔵様、もうすぐ稲の刈り入れが始まるっちゅうのに、夜になると近くの山から大猪が下りてきては稲を食い荒らしてしまって、困っとります」
「若い衆で何とかしようと思いましたが、逆に牙で突かれ怪我まで負っちまって…何ともならんのです」
「何とか、あの大猪をとっちめてもらえんでしょうか…」
(まてまてまてまてまて〜〜〜〜〜っ!!!)
何だそりゃあ〜っ!と悉伽羅は頭を抱えてじたばたと音をたてずに悶えまくった。
そりゃあ、聞く内容では確かに神頼み、仏頼みしたくなる気持ちも分かるが…だからと言って…!!
「何卒、何卒、お願いします」
村人達はひとしきり拝み、頭を下げ、おそらくなけなしの収穫分なのだろう農作物を置いて、堂を去っていってしまった。
「……あ〜あ」
後で一人になったところで、悉伽羅がごそりと地蔵の背後から出てきて、やれやれと供え物の農作物を見つめた。
今更返すったってなぁ…とは言え、これだけしてもらって何も知らぬ存ぜぬじゃあ、気持ちが悪いし……
「……夜、ねぇ…」
『お兄ちゃん、どうしたの?』
問い掛けてくる地蔵の中の少年に、悉伽羅は溜息をつきながら呟いていた。
「はぁ…大人の世界は、色々と付き合いが難しいんだ」
『?』
そして夕刻から更に日が落ち、辺りが闇色に染まったところで、悉伽羅は己の姿をそこに溶かしてしまうように静かに村へと向かったのだった。
月は相変わらず美しいが、今日は薄雲が掛かっている所為か、その光はやや翳っている。
(よしよし、この程度の月光なら人に見られずに行けそうだな…村の問題の田んぼは…あそこか)
人とは余りに違うその俊足振りで、あっという間に目的の場所へと辿り着いた。
幸い、人が辺りにいる様子はない…猪が来てから騒ぐつもりなのか、それとも、もう猪に恐れをなして家から出ることも適わないのか…
ざわざわざわ…っ
「…ん」
見事に実った稲の穂がさざめく音がして、悉伽羅がぴくんと肩を揺らしつつ視線を動かす。
田んぼに見事に実った穂がさわさわ揺れる…その奥から感じるのは、荒ぶる獣の息遣い。
目が…合った。
真っ赤に光る目が、明らかに殺意をもってこちらを見つめている…稲の穂の向こうに隠れているが、あからさまな殺意は隠しようが無い…所詮は獣だからだ。
しかし獣であるとは言え、確かにこの時、悉伽羅は正直驚いていた。
「うわ〜…何食ったらそんなにデカくなるんだよ…洒落にならん」
そんな若者の言葉を解したのかは謎だが、そんな呟きの後で、先に村へと下りて来ていたらしい敵がようやく稲の向こうから姿を現す。
逆光の中でこちらを見据えてくる獣は、真っ黒な毛並みを持つ猪…あの村人達が言っていたのは間違いなくコイツだ、と悉伽羅は確信した。
洒落にならない…彼の言葉通り、並の大きさではなかったのだ。
暗闇の中ということで多少の錯覚はあるだろうが、相手の牙の位置は裕に自分の腰に届きそうだ。
もしやしたら、三十貫ぐらいの重さがあるのではないだろうか…?
確かにコイツに突かれたら相当な傷を負う…正直、生きていたのは幸運だったと言えるが、もしやしたら、他の村人たちの決死の活動があっての事だったのかもしれない。
ざっざっ……
食事時を邪魔された苛立ちと怒りがあるのだろうか、猪は前足で地面を激しく蹴り、こちらに向けて鼻息を荒くしている。
「えーと…まぁ何だ、ここは一つ穏便に……」
彼が持ちかけた話し合いは全く意味を成さずに終わる。
それは悉伽羅の言葉を待たずに、遂に向こうが突進してきたからだが、勿論それを予想していない程に彼も間抜けではなかった。
「いかないみたいね、やっぱり」
相手をぎりぎりまで引き寄せてから、ひょーいっとその頭を飛び越えて着地した悉伽羅は、同じく走りを止めて再びこちらに向き直った猪と再び対峙した。
「……無駄な殺生はしたくなかったんだけどなぁ…けどまぁ、人の稲を荒らしたり、傷つけたり、ちょっとやり過ぎたな、お前」
そして、再び突進してくる猪に対し今度は逃げの構えを見せず、悉伽羅はぐっと腰を深く落とし、構えた。
「悪く思うなよ」
再び猪へと向けられた瞳は、獣のそれ以上に爛々と輝き、不吉な彩を灯していた…
その夜、村人達が、またも村に下りて来るだろう猪の被害を憂いていた時、どどーんっという凄まじい地響きが響き渡った。
猪が暴れているにしてもあまりに大きな音に、彼らが一様に家の中で驚き、男衆が松明を掲げて外へと出てみると、そこにはおよそ信じ難い光景が広がっていた。
田の傍の道に、あの大猪が既に絶命した状態で巨体を横たえていたのだ。
小山ほどにも見えるその身体はまだ温かく、ほんの少し前までは生きていたのだと窺い知れたが、もう既にその場には誰の姿も認める事は出来なかった。
よく調べてみると、猪の首が折られていた…ぽっきりと。
この巨体を押さえつけ、しかも首の骨をへし折るというのは人間ではありえない。
しかも驚いたのはそれだけではなく、猪の左の後ろ足が付け根から千切り取られていたのだ。
何の道具も使わず、正にそのまま引き千切ったという表現がぴったりな傷口からは、まだ温かな血が流れ、固まってもいない。
その一帯は血の海になり、そこから血がぽつぽつと、あの例のお堂へと向かっていたのを見た村人達は、やはりあの地蔵がこの怪異を為したのだと信じて疑わなかった。
地蔵様だ。
願いを聞き届けた地蔵様が、鬼を遣わしてこの猪を仕留めてくれたのだ。
獣の脚だけ持ち去り、他の貴重な肉の殆どを残していってくれたのは、自分たちへのお情に違いない…
村人達はそう噂した……
二日後…
「うーむ、ちょっと力みすぎたかな、まだちょっと調子が…あうち」
その鬼である悉伽羅は、朝から地蔵の背後で横たわり、腰をとんとんと叩いていた。
「くそ…下手に音たてちまったから脚しか持って帰れなかった…あれだけあったら、暫くは肉が食えたのに……身体ごと持って帰れたら噂もそんなには広がらなかっただろけど、まぁ仕方ないか…」
どうやら、獣を置いて帰った理由は、村人たちが考えてくれていた様な殊勝なものではなかった様である。
『お兄ちゃん、大丈夫?』
地蔵の少年の心配そうな声に、彼はひらっと手を振って明るく断った。
「ああ、平気平気…結構久し振りに骨がある奴だったから、こっちは楽しめた……はぁ、けどこれでまた変な噂が広がったりしなきゃいいんだけど…そろそろあの村の奴らも自重してくれないかね…」
脚だけ持ってきたのは、自分の食料確保の為だけではない。
ああいう残酷な演出を敢えて見せる事で、おいそれと気安い願いは掛けられないと、一種の畏れの気持ちを抱かせることが目的でもあった。
それが通じたらいいのだが…と思っていた早々に、再び堂の外が騒がしくなってくる。
昨日の村人達の騒ぎの比ではない、もっともっと大きな騒ぎに、悉伽羅は慌てて自身に術を掛けながら首を捻った。
(何だ何だ…? 随分と沢山の人間が来てるんじゃないか…!?)
そう思う彼の目の前で堂の扉が開き、多くの人が中へと押し寄せて来る。
手に手にお供えらしい作物を手にして、彼らはぞろりと地蔵の前に集まってきた。
「これがそのお地蔵さんかえ?」
「そうだね、これだよ、隣村の長が教えてくれたんだから、間違いない」
「ほほ〜、じゃあ、ワシの腰でも治るように願を掛けてみるかのう…」
「…………」
噂が止まるどころか…
どうやら、あの村人から更に隣の村にまで噂は拡散してしまったらしい…
(はは…皆さん、信心深いこって……)
感心の言葉を思いつつも、悉伽羅はどーしよー、とうつ伏せつつ涙を流していた。
どんどん立場が行くべきではない方向へと向かってしまっている気がする。
そんな彼の心は知らず、騒いでいる中でやがて隣村の住人の内の一人が提案した。
「待て待て。あんまり我侭ばかり言うても、地蔵様も怒ってしまうかもしれん。全部の願いは叶えられんでも、せめて、ウチの村の来年の収穫が大丈夫か、それだけ聞いてみんか?」
「そうだなぁ」
「それだけでも分かったら、ワシらは安心じゃあ」
「折角ここまで歩いて来たんじゃからのう…」
「教えてもらえるじゃろか…」
そんな彼らの真摯な言葉を聞いて、最初は『もう聞くもんか』と構えていた男の決心は、またもぐらぐらと揺れてしまう。
隣村から来たということは、随分と時間をかけてここまで来たのだろう。
見れば、かなり高齢の者が多い…小さな子供もいる…
きっと、若い者達は今も村で必死に働き、働けない非力な彼らは彼らなりに村を憂い、ここまで長い道のりを来たのだ。
(……い、一回だけ…一回だけなら…)
一つの願いなら、それだけでも…
よいしょっと起き上がった悉伽羅はぶつぶつと相手方の耳に届かない程度の声で何かを呟きながら印を切り、その者達の村の収穫について簡単な占術を行った。
(んー…お、なかなかいい感じの卦が出た…よしよし、まぁ豊作でいいだろう)
あんまり難しい字を書いても、分からない人間も多いという事で、悉伽羅はまた胸から取り出した和紙に、一言『豊』と書き、それを小さく折り畳むと、ていっと自分の後ろへと投げ遣った。
かさっ…
「…ん!? 何じゃ、この紙は」
「おお! お告げじゃ、地蔵様がお告げを下さった!!」
早速、うち一人がそれを拾い上げて中身を確認した。
「んん…何が書いてあるんじゃ?」
「見たことがあるぞ、こりゃあ確か、米が沢山採れた時に使う時の文字じゃあ」
「本当か!?」
「じゃあ、来年はウチの村は安泰か!」
「良かった!」
「ああ、ああ、本当に有り難い!!」
彼らは堂の中でひとしきり喜び、興奮冷めやらぬまま、早く残った村人達にも伝えようと、その場を立ち去っていった。
『…喜んでたね』
「…まぁな」
『でも、お兄ちゃんはあまり嬉しそうには見えないんだけど…どうして?』
「いや、なんつーか……止め時が分からなくなってきたというか…」
全ては自身の招いた事だったが、予想外の流れに困惑せざるを得ない。
しかし、確かここ辺りにはそうそう幾つも村はなかった筈…これで蹴りをつけたという事で、そろそろ手慰みの人助けも切り上げるべきだろうが……
(けどなぁ…俺がいなくなったらなったで、こいつが…)
地蔵の中に閉じ込められた子供は、また一人になるのか…かと言って、自分の力ではこれはどうにもならない…幸の様に力があれば…いやしかし…
色々と考える事は尽きない悉伽羅だったが、幸いと言うべきか不幸と言うべきか、それについて彼が悩む事など、次の日から一切無くなってしまった。
何と、今度は地蔵の噂を何処かで聞きつけたらしい何処かの寺の僧侶達が一斉にこの場所へと押しかけて来たかと思うと、堂の管理の権利の主張を始めてしまったのだった。
彼らが言うには、この地蔵と堂を建立したのは彼らの寺であると言う。
真偽の程は定かではないが、以来、堂の前には誰かしら寺の僧侶達が立って見張りを行い、今更ながらの掃除を行った。
それだけならばまだ良かったが、あろうことか、参拝者に対して寺への布施を求め始めたのだ。
(勘弁してくれ〜〜〜〜〜〜っ!!)
いよいよ事態が大きく厄介な方向へと動き出してしまい、悉伽羅は地蔵の陰で頭を抱え、再びじたばた…無論、僧侶たちには彼の姿は見えていない。
『この堂の地蔵菩薩は実に霊験あらたかであり、その全ての功徳は像を建立した我が寺にこそ帰依するものである。拝したければ、布施を納めよ』
『そんな馬鹿な! こないだまで、普通に来て普通に拝めていけたのに』
外からそんな押し問答が聞こえて来るのも、これで何度目だろうか…
(にっ……人間が信じられなくなってきた…)
ぐったりと突っ伏して、床に「の」の字を書き始めてしまった悉伽羅に、亡者の少年が詫びた。
『ゴメンね、お兄ちゃん…僕が我侭を言ってしまったから…』
「いや…お前の所為じゃないって……はぁ、けど、このままじゃあやっぱなぁ」
出て行くわけにもいかないし…と悉伽羅は唸り、その場に留まらざるを得なかった。
しかし、彼が留まっている一方で、世の流れは間違いなく動いていたのだ。
人の口に戸は立てられず、噂は千里を走るもの…
地蔵の奇跡は、いつしか悉伽羅の想像を遥かに超える形となって、世に知れ渡るコトになるのである。
そう、都の中心…帝が住まう殿中にまで……
「お早うございます、母上」
「お早う、帝…今日も健やかそうで何よりです」
「母上こそ…変わらずご壮健であられ、吾も安堵しております」
簾の前に座し、その向こうにいるであろう女性に、帝と呼ばれた若者が朝の挨拶に訪れていた。
呼ばれた通り、彼こそが現在の帝であり、世の政のほぼ全てを握っている。
見事な召し物に身を包み冠を被った面も非常に整っている彼は、執務の腕も高く多くの女御達を虜にしていたが、本人は一切の浮名を流すこともなく淡々と責務をこなしていた。
それは彼が帝という立場を誰よりも自覚していたことと、そして何より、自身が景という名の神であったからだった。
正しくは、現在は神ではなく、半人半神の立場である。
今、目の前にいる大后が人としての自分の母親であり、彼女に対しては、普段は冷徹な笑みを浮かべる事が多い景も、息子として優しい笑顔を見せていた。
それが人としての芝居であったのか、神の本心からの笑みであったのかは誰にも分からない。
「…そう言えば、帝…貴方はご存知でしょうか? 最近、宮中の女御達がおかしな噂をしているのですよ」
「噂…」
口は災いの元…故に貴族達は外では滅多に口を開かないのだが、女性達は何かと噂が好きな生き物らしい。
「とある堂の地蔵菩薩が、幾つもの奇跡を起こしていると…本当の事であればそれは実に有り難いことなのですが……でも帝や…此度の噂、私はどうしても気掛かりでならないのです」
「…気掛かり?」
それからも、景は静かに簾の外に座したまま相手の言葉に耳を傾けていたが、全てを聞いた時に、ふ、と微笑み、静かに頭を垂れた。
「そういう事であれば、吾が直々に調べさせましょう…母上は何も憂うことなく、どうぞ心を穏やかにお待ち下さい…」
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