「うわ〜〜〜、流石、常勝不敗の強豪校って言われるだけあるなぁ…凄いファンの数」
 或る日の放課後、桜乃はちょっとした好奇心で立海の男子テニス部が活動しているコートに見学に訪れていた。
 いや、正直に言えば、なかなか上手くコミュニケーションが取れない兄の様子が気になったのである。
 テニス部で活躍しているという事は本人から聞いてはいたが、実際の活動風景は見たことはない。
 見学席には女子を中心とした見学者達が結構な人数訪れており、先程から黄色い歓声が上がっている。
『幸村さ〜〜〜ん!』
『赤也く――――んっ! こっち向いて〜〜〜〜!!』
(あ、赤也さんのファンだ…へぇ、本当にモテるんだなぁ…)
 そうしている内に練習試合が始まるのか、当の赤也がコートの中に入ってラケットを固く握る姿が見えた。
 家で自分と会話している時にはいつも少しうろたえているところがあるのだが、今の彼は威風堂々、不敵な笑みすら浮かべている。
 確かに…ファンがつく筈だ。
 そして、その義妹の確信は試合が始まってから更に強いものになった。
(な、何アレ…ッ、物凄く強い…!!)
 まるで羽が生えているように軽々とコートの中を飛び回りながら、打ち出す一撃は弾丸の様に鋭く、容赦が無い。
 正に、蝶の様に舞い、蜂の様に刺す…そんな表現がぴったりだった。
(わぁ…赤也さん、やっぱり本当に、実力でレギュラーになったんだなぁ…)
 疑っていた訳ではないが、改めてそれを認めた桜乃に、再び黄色い歓声が届く。
『赤也さん、素敵―――っ!!』
「……」
 何となく気分が落ち着かず、桜乃は少しだけむっとしてしまった。
(赤也さんは、私の『お兄ちゃん』なのにな……って、何言ってるんだろ私。そんなの関係ないのに…でも…)
 やっぱり妹だもん……お兄ちゃんのすぐ近くで、楽しく話してみたいよ…本当の兄妹みたいに…
「……あ」
 ぼーっとしている間に赤也の試合はあっさりと彼の完勝に終わり、若者はコート脇…見学者のいる場所の傍をすたすたと歩いて移動してゆく。
 彼が一際近くを通るだけあって、観客は一層ヒートアップするのだが、一人だけ、桜乃だけはあたふたと逃げるようにその身を隠した。
 やはり、相手と仲良く話したいと願う一方では、気恥ずかしさもある様だ…それに兄妹になって一月経過し、まだ気安く兄と呼べない後ろめたさもあるのだろう。
 しかし、そんな少女の姿を目敏く見つけた一人のレギュラーがいた。
「……あの娘、確か…」
 銀髪の若者である…仁王だ。
 彼はふーんと面白そうに笑いながら、すたすたと赤髪の丸井の許へと歩み寄る。
「丸井」
「ん? 何だよい、仁王」
 丁度、ジャッカルとフォーメーションについて話し合っていた相手に、仁王はにこ、と笑いかけながら質問した。
「面白いコト好きか?」
「おう!」
「赤也で遊んでみんか?」
「遊ぶ!」
 二つの質問の後、仁王は丸井の頭に自分のそれを寄せてぼそぼそぼそ…と何事かを話し込んだ後、
「よし行け丸井」
「よっしゃーっ!」
 相手を観客席の方へと元気に送り出した。
「…何を始めるつもりだ今度は…」
「いや、先輩としての義務を果たしてやろうと思ってのう…」
 既に顔色が青くなっているジャッカルは、自分にどんなとばっちりが来るのかと戦々恐々としている。
 そんな相棒を他所に、丸井は犬のように元気に走って観客席の方へと移動すると、そこできょろっと頭を動かし、仁王に指定された場所でフェンス下に隠れていた少女を見つけ出した。
「あ、見っけ」
「!?」
 いきなりテニス部の誰かに呼びかけられ、びぐっと怯えた様にそちらを向いた桜乃は、赤い髪の若者と視線が合った。
「…え?」
「アンタが赤也の新しい妹?」
「え……え、と」
 唐突な質問に戸惑った桜乃は、声にこそ出せなかったものの、多少うろたえながらこっくりと首を縦に振った。
「へぇ〜〜、可愛いじゃん。良かったなぁ、アイツに似てなくて…ってそりゃ当然か。まぁいいや、ちょっとコッチ来て!」
「え!? あ、あのう…」
「いーからいーから!」
 半ば強制的に彼は桜乃の腕を掴み、そのまま部室の方へと彼女を引き摺っていく。
 そんな彼に他の女性ファンが何事かをきゃーきゃー喚いていたが、丸井は全く気付いてもいないのか興味もないのか、歩みを止める様子もない。
 一方で、仁王はその時、赤也に話し掛けており、相手の興味を自分へと逸らして向こうの動きを悟らせないように行動していた。
 そして、丸井が彼女を部室に連れて入るのを確認すると、自分もさり気なくそちらへと向かって行く。
(?…あの二人…?)
 しかし、流石に部長である幸村を始めとするレギュラー数人は彼らの行動に気付いていた。
 正しくは、丸井の行動で一際大きくなった女性達の声が、異変を教えてくれたのだ。
「あいつら…何をしとるか、部活中に部外者を連れるとはたるんどる」
 早速目くじらを立てた真田に、幸村が軽く手で相手の動きを制しながら笑った。
「待って、弦一郎…俺が様子を見てくるから、君は他の部員の指導を続けて」
「む…そうか?」
「うん、頼んだよ」
 重要な指導の役目を与えられては、その場を動く訳にもいかない。
 真田は、仕方なく親友に仁王達の相手を任せることにした。
 そして、幸村はすたすたと彼らが向かった部室へと向かい、中へと踏み込む。
「! おう、部長か」
「仁王、ブン太、何をしているんだい? 部活中だよ」
「……あのう…」
 幸村の問い掛けに最初に答えたのは、連れて来られた少女だった。
「私…もしかして立ち入り禁止の場所に入っていたんでしょうか…?」
「…? いや、そんな事はないけど…」
 誰だろう…と部長が思うのとほぼ同時に、仁王がその聞こえない質問に答えた。
「…切原桜乃…赤也の新しい妹じゃ…じゃな?」
 仁王の確認に、桜乃はおどおどとしながらもこくんと頷いた。
「…は、はい」
「!…そうか、君が」
 切原の新しい家族か…と、幸村が納得し、仁王の意図するところを察して笑う。
「…ハッパを掛けようってコト?」
「わざわざ見学にまで来とるんじゃ…お互いに歩み寄る気持ちはあるんじゃろ」
「このままだと、可哀相じゃん」
「……半分は野次馬根性なんだろうけどね」
 鋭く二人の心を見抜いた部長は、それでも確かに二人の言い分にも納得できるところはあると認め、桜乃へと振り返った。
「…切原赤也は俺達の後輩でね…彼が最近、妹に兄貴として認められていないんだって落ち込んでいたから、ちょっと気になったんだ。もし彼が知らない間に、君に心無い事をしているんだとしたら、俺達からきつく言う事も出来るけど…その辺、どうなの?」
 なかなかに上手い話の持って行き方だ、と詐欺師が感心していると、問われた桜乃は驚いた様子で首を激しく横に振った。
「そ、そんな事はないです、赤也さんには何の落ち度もありません! わ、私が赤也さんに気を遣わせてしまっているだけで…」
「…『お兄ちゃん』、じゃないの?」
「!」
 鋭く突っ込まれ、どき、と胸を衝かれた桜乃は幸村の方を振り仰ぎ、そして、俯いた。
「…よっ…呼びたいんですけど…赤也さん、凄く格好いいですから、私なんかがお兄ちゃんって呼ぶなんて…!」

(え…誰が?)

 幸村だけではなく、その場の全員が硬直した脇で、桜乃が一生懸命、力説した。
「テニス部ではレギュラーですし、大活躍して先輩方の期待も大きいし、女性にもモテモテで、品行方正の人気者で…!!」

(何ソレ、何処の都市伝説!?)

 更に石と化したメンバー達は、何とか必死にポーカーフェイスを保ちつつ、ダメージからの回復を図る。
(あ〜〜〜、べっくらこいた〜〜!!!)
(かなり分厚いメッキだったようじゃのう…)
 丸井と仁王がそう思っている間に、幸村は動揺を僅かにも見せる事無く少女に微笑んだ。
「そう…でも、君がそう萎縮していたら、切原もやり辛いんじゃないかな…」
「え…」
「一歩を踏み出せたら、後は簡単だと思うんだけど…ねぇ、仁王?」
 最後の問い掛けには『何か良い案はない?』という質問が含まれている事に、詐欺師が気付かない筈はなかった。
「そうじゃの…ここは一つ、健気な妹をアピールしてみるか…桜乃、じゃったな。お前さん、いつも赤也に弁当作ってくれとるらしいが、あいつ放課後にも結構腹を空かせとること、知っとうか?」
 仁王の暴露に、桜乃はきょとんとする。
 そんな事、家でも言ってなかったけど…言ってくれたら、お弁当の量、考えたのに。
「…そう、なんですか?」
「食べ盛りの上、部活がハードじゃからの…お前さんなら、アイツをサポート出来ること、あるんじゃないか?」
「……」
 相手が提示してくれたアイデアについて考え、沈黙し、まだ少し迷いがあるらしい娘に、丸井がにっと笑って励ました。
「そう構えんなよい。アイツ自体が単純なんだからさ、難しく考えるこたねーんだぜい? ウジウジするより、先ずは行動してみろって!」
「は、い…」
 促されても桜乃はまだ不安を全て消す事は出来なかったが、取り敢えずは前向きに考えることにして、彼らにお辞儀をした。
「あ、有難う、ございます…あの…頑張ってみます」
「うん。やってごらん」
「もし赤也がお前さんの努力を無碍にするようなコトがあったら、その時は俺らの出番じゃよ」
 ただじゃあおかねぇ、という陰の企みを秘めつつ、男達は少女を送り出した。
 さて、どうなるか…後は見守るか。
「……青学って、女子校じゃなかったよね?」
「ん? ああ、トーゼンだろい? 何で?」
 不意の幸村の疑問に丸井がきょとんと答えると、向こうは真剣な表情で顎に手をやり、呟いた。
「いや…切原をあそこまで無条件で褒めるなんて、男性にあまり会った事がなかったのかなぁと」
「…お前さんも言うのう、部長」
 そうは言ったものの、否定も出来ない詐欺師だった……


 翌日…
 やはりその日も、朝から『お兄ちゃん』とは呼んでもらえなかった赤也は、放課後の部活でそれを忘れようとするかの如く身体を派手に動かしていた。
 相変わらず声援も凄いものだが、正直、今の彼にはそれらに興味は持てない様子。
『赤也さ〜〜ん!! 受け取って下さ――――い!』
『タオル使って〜〜〜〜!』
 熱烈な応援は嬉しくもあるのだが、行き過ぎると正直引いてしまう。
 その引いた表情を見せるまいと、赤也がさっさと背中をそちらに向けてコートの脇を歩いていき、部長の座るベンチに差し掛かったところで、彼から声を掛けられた。
「相変わらず凄い人気じゃないか、切原」
「へっ、部長がコートに立ったら、あの五倍はいくでしょ」
「そうなの、まぁそれはいいけど…でも、何の反応もしないのはちょっと感心出来ないな」
「…へ?」
 そんな事を言われたのは初めてで、赤也はどうリアクションを返せばいいのか分からず、言葉に詰まる。
「ど、どうしたんすか、急に…」
「別に、当然の事を言ったまでだよ。俺達が試合中に実力以上の力を出せるのは偏に応援してくれる人達の声援があってこそだろう。それに対して、感謝もしないのはどうだろうかってコトだよ」
「そりゃ…忘れちゃいないッスよ?」
 ぶーと唇を尖らせる後輩に、部長は良かった、と微笑みながら、ぴ、と声援を送る女性達の群れを指差した。
「じゃあ、丁度試合も終わったコトだし、少しだけ顔でも見せてやったら? 差し入れも持って来てくれてるんだし、代表で誰か一人のを受け取るぐらいのサービスはしてあげなよ」
「サ、サービスって何スか…大体そんな事したら大変でしょ」
 下手に誰かの差し入れを受け取ったら、それだけで変な噂を立てられかねない…だから、これまでもそんな事はしていなかったのに…
(…何か、今日の部長、様子がヘンだな…)
 思いつつも確証が持てない以上は追求する事も出来ず、赤也は渋々と女性達の集まっているスペースへと向かって行った。
 自分が近づけば近づくほどに、彼女達の興奮はいや増し、声が大きくなってくる。
「あ、どーも、いつも応援有難うッス」
 当たり障りの無い感謝の言葉を述べながら、なるべく特定の人物とは視線を合わせない様にする。
 冷たいと思われるかもしれないが、本当に僅か数秒視線を交わしただけで、その相手と妙な噂になる事もあるのだ。
 だからなるべく公平に…自然体で…赤也はゆっくりと彼女達の前を通り過ぎてゆく。
「どうも、有難う…」
 お礼の言葉を何度か繰り返している時、不意に赤也の視線が止まった。
 止めてはいけないと分かってはいたが、止まってしまったのだ。
 見覚えのある青いチェック柄のナプキンに包まれたお弁当箱…そして、スポーツタオル。
 一人の人物がそれらを差し出していた。
 しかし、顔は見えない。
 多くの女性陣のひしめき合う群れの向こうから、遠慮がちに、その人は自分の腕だけを差し出していた。
「……」
 赤也は、最早他の女性達の声を聞かず、姿も見ず、その細く白い二本の腕だけを見ていた。
(…これって…そう、だよな…)
 ナプキンの柄も、スポーツタオルも…細い手も、見たことがある。
 じゃあ、これを持ってる奴って…やっぱ…アイツ?
 わざわざ来てくれたのか…?
「……」
 もう一度顔を上げてみるが、やはり人が多くて向こうの姿は確認出来なかった。
 しかし、赤也は最早間違いはないと確信したところで、躊躇いもなく手を伸ばす。
 ぐい…っ!
『え…?』
 群れの向こうから少女の声が聞こえた時には、赤也は、姿を隠していた妹を見事に引きずり出す事に成功していた。
 二年生エースの突然の行動に周囲の女性達が声も無く呆然とする中で、彼は桜乃の姿を確認して嬉しそうに笑った。
「…見学に、来てくれたんだ?」
「あっ…は、はい…」
 周囲の視線を受けながら、桜乃は真っ赤になりつつも、相手にお弁当とタオルを差し出す。
「あのう…お、お腹、空かせてるんじゃないかって…思って…良かったら」
 周りの女子達が嫉妬と羨望の眼差しを向ける中で何とか声を絞り出したものの、桜乃は大胆な事をしてしまったと激しく動揺していた。
 どうしよう、こんなに注目されちゃって…却って迷惑になっちゃったんじゃ…
 その思いが心を過ぎった時…
「…サンキュ、丁度腹へってたんだ。有難く貰うぜ」
「…!」
 は、と相手を見上げると、嘘ではない、心底そう思っているらしい笑顔の若者が、こちらを見つめていた。
 それから相手は弁当箱とタオルを受け取ったが、桜乃の手を離すことはなく、ぐい、とコートの方へと引っ張ってゆく。
「え…え…?」
「折角来たんだしさ、ちょっと見てけよ。こっちの方が良く見えるからさ」
 てとてとと腕を引かれていく桜乃に、今まで沈黙していた女性陣からブーイングが上がった。
『ちょっと赤也君! その子誰!?』
『赤也君の何なの―――っ!?』
 結構辛辣な台詞も聞こえてきて少なからず桜乃はその言葉に慄いてしまったが、それを察した赤也が、ぴた、と立ち止まる。
 そして、向こうにきつい視線を向けると同時に断言した。
「…俺の大事な『妹』にそういうコト言うの、やめてくんね?」
「!!」
 驚いたのは桜乃のみにあらず、その場の全ての女子が沈黙する。
「…ほら、こっち」
 その隙に、再び赤也は少女の手を引いて、ぐいぐいとレギュラー達が集まるベンチの方へと彼女を連れて行った。
(……大事な…妹…)
 大事なんだって…妹って…言ってくれた…
 相手の言葉を思い出しながら、かぁと頬を染めている間に、桜乃はベンチへと到着した。
「む? 赤也…その女子は?」
「俺の妹ッス。応援に来てくれたんで、ちょっとここにいさせてもいいでしょ? 副部長」
 真田に対し赤也はそう願ったが、向こうは多少困惑気味である。
 身内とは言え、部外者をそう易々と入れることはどうなのか…
 悩む相手に許可を出したのは、先日桜乃に入れ知恵をした幸村だった。
「良いんじゃないかな。別に邪魔しなければ…連れて来ておいて、今更追い返すのも可哀相だ」
「精市…?」
 不思議そうな目を向ける真田から桜乃へと視線を移し、彼はにこりと笑った。
「…『初めまして』…切原の妹さんなんだって?」
「!…あ、はい」
 昨日の事は赤也には内緒にしている…だから、二人はここで初対面というコトになるのだ。
 密約を交わすと、部長はふふ、と優しい笑みを浮かべて頷いた。
「ゆっくりしていってね。君がいたら、切原の気合も違うだろうから」
「!…」
 相手の台詞にまたも言葉を失くしている少女の前で、赤也がジャッカルから声を掛けられる。
「おい、切原。今度は向こうで俺とラリーだぞ」
「あ、今行くッス!…ん、んじゃあ、ゆっくりしとけよ!」
「…あのっ!」
 走り去ろうとする若者を桜乃が引きとめ、二人は少しの間、向き合った。
「?」
「あの……が、頑張って…」
 一生懸命、言葉を紡ぎ、桜乃は赤也の瞳を真っ直ぐに見つめながら、にこ、と笑う。
 初めてぎこちなさを全て取り去ることが出来た…本当に素直な笑顔だった。
「頑張って…ね…赤也、『お兄ちゃん』」
「っ!!」
 傍で聞いていた幸村や仁王達がにやりと笑う。
 きっと今の後輩は、何も考えられないぐらいに嬉しいに違いない。
「お…おお! が、頑張る!!」
「…はい」
 そして赤也は『うりゃ―――――っ!』という雄叫びが聞こえてきそうな程にハッスルした状態でコートへと向かって行った。
 家族になって一月余り…ようやく二人は、ここで初めて兄妹になれたのだった。



了?

*兄妹愛まででめでたし〜と終わりにしたい方々はここまでです。
 それ以上(恋人?)の終わりを覗きたいという方はおまけ程度ですが以下からどうぞ〜〜


前へ
切原編トップへ
おまけへ