翌日の昼休み
「相変わらず凄いな、そんなに食えるのか?」
「オメーも結構な量じゃんかよい」
 購買でパンをしこたま買い込んだ丸井は、同じく食料を確保したダブルスの相棒と共に渡り廊下を歩いていた。
 自分の弁当も持って来てはいるのだが、何しろ食べ盛りの身体には到底足りない量なのだ。
 これから教室に戻って美味しい一時を過ごそうというところで、不意にジャッカルが丸井に呼びかけた。
「ところでさ、お前、昨日転校生を案内しただろ? あの時に何かあったのか?」
「へ? 別に何もなかったぜい? 適当に案内して適当に別れてさ、それっきり」
「ふぅん…優しくしてやったのか?」
 何となく意味深な相手の発言に、根拠はなかったが丸井は多少動揺しながら相手に食って掛かった。
「んなわきゃねーじゃん! フツーだよいフツー!! んな事言うなんてオメーらしくないじゃんジャッカル!!」
 しかし向こうはそうなのか?とごく普通に応じてくる。
 別に丸井をからかおうと思っている訳ではなさそうだった。
「いやぁ、俺はてっきりお前があのおさげの子に懐かれてるというか、気に入られたんじゃないかと…」
「何で!?」
「付いて来てるから」
「!?」
 はい!?と振り返ると、自分達二人の後ろをいつから追いかけていたのか、あの転校生の少女がすぐ後ろにちょん…と立ってこちらを覗きこんでいた。
「え!? な、何だよいお前…何でここに…?」
 昨日のアイツだ…と思っている間に、向こうは例の親しみに満ちた笑顔を浮かべる。
「えへへ…購買でお茶を買っていたらお二人が見えましたから、後輩としてご挨拶をしておこうと思って…」
 そして、再び丸井は桜乃から右手を取られると、にぎにぎ、と握手攻撃を受けた。
「よろしくー」
「だからいいって握手はっ!!」
 殆ど初対面だってのに何なんだこの懐かれっぷりは!!と、丸井は再び慌てながら手を振り払う。
 向こうが悪いコトをしている訳ではないことは分かっている。
 しかし、やはり自分の周囲で騒ぐ女性達と重ねて見てしまうのだ、苦手な種類の女性達と。
 少女に罪がないということを自分に言い聞かせつつも、彼女の纏うほんわかした雰囲気に毒気を抜かれていた丸井の隣では、今度はジャッカルが彼女と握手を交わしていた。
「へぇ、親父さんの仕事の都合で…」
「そうなんですよー」
「何でお前まで親睦深めてんだよい!」
 ダメだ! 何か知らないけど、こいつと一緒だとペースが狂う!
「いいだろ別に挨拶ぐらい…」
「いーから行くぞい! 俺の胃袋は消化の時を待ってんだ!!」
 物凄い言い訳だったが、普段が食欲大魔人だっただけあり、無意味に説得力がある。
 しょうがない、と相棒が承諾したところで、桜乃が丸井に追い討ちをかけた。
「あのう、丸井先輩」
「何だよい!!」
 つい大声で怒鳴ってしまった若者の目前に、ちょい、と鮮やかな色彩の物体が差し出されていた。
 カラフルな布ナプキンで包まれた…紛れもないお弁当と呼ばれしモノだ。
「お腹空いてらっしゃるなら、丁度良かった。これもどうぞ?」
「へ?」
「ちょっと作り過ぎちゃって…困っていたんですけど、宜しければ」
「……いいの?」
「はい」
 丸井は、周囲で騒ぐ女子は苦手である…が、食べ物は大好きである。
 食べ物の為に、多少の騒音には耳を塞げる程なのだ。
 くれるというのなら断る理由はないし…ペースは狂わされるけど、こいつはそんなに煩い方でもないし、悪い奴でもないし…
「…しょ、しょーがねーな、じゃあ貰ってやる」
「はい!」
 そんなやり取りを眺めているジャッカルの視界には、丸井の頭とお尻に、歓びに揺れる犬耳と尻尾が見えていた。
(受け入れている様に見えるが、完全に餌付けだ…)
 そして桜乃と別れた二人は、教室に戻ってようやく食事の時間となったのだが、その時丸井は彼女の手作り弁当の美味さに驚愕した。
(何これ、すっげー美味いじゃん!!)
 『転校生』、『やたらと明るい』、『よく分からない』、などの桜乃に対するイメージに、更に『料理上手』という、丸井的にかなりの高ポイントが付けられた瞬間だった。


 それからというもの…
『テニス、教えて下さいっ!』
『お弁当、作ってきました!』
『おやつ、どうですか?』
 続く転校生の怒涛の攻撃。
 日々、桜乃の姿を見かけない日はなくなり、それどころか気がついたらすぐ傍にいて、にこにこと笑いかけてくるようにまでなっている始末。
「またかよい、よく飽きねーなーお前も」
 最初こそそう言ってうざったそうにしていた丸井だったが、彼女の差し入れてくれる手作りシリーズは確かに彼の味覚にも合い、無碍に断るには魅力がありすぎた。
 貰ってやるか、という建前、ジャッカルが思った通りの餌付けを受けている内に、丸井本人も徐々に桜乃の存在には慣れてきたのだった。
 そんな或る日、丸井はいつもの様に休み時間にお菓子を食べつつ、ぼーっと窓から外の景色を眺めていた。
 今日の食後のおやつはボックスクッキーで、紙ナプキンの上にそれが小さな山になって積み上がっている。
「今日はまだ来てないんだな、あの子」
「んあ…?」
 さく、とクッキーを噛みながら、呼びかけてきた相手に視線も遣らずに彼は答える。
 顔を向けるまでもなく声と口調ですぐ分かる、ジャッカルだ。
 まだ来ていない、というのは、あれからあのおさげの少女が昼休みなどにも頻繁に丸井の許を訪れるようになった事を受けての発言なのだ。
「何だよい」
「ファンでもここまで食事とおやつの差し入れなんてくれる奴いないだろ? 毎朝お前を満足させる味のモノを届けてくれて、相当懐かれてるぞ。あんまり冷たくするなよ?」
「フツーに喋ってるだけだもん、俺」
「まぁ間違った扱いじゃないけどな…」
 つれない台詞から、やっぱりあの子も只の後輩に過ぎないのか?と思いつつも、ジャッカルの視線はそう厳しいものではなかった。
「けど最近じゃ、あの子だけはお前も傍にいても何も言わないじゃないか。いつものお前だったら、渋い顔で疲れるだの何だの愚痴りそうなもんだ」
「…アイツは煩くねーもん」
「ん?」
「フツーの奴だったら俺が天才的に有名人だって知ったら、きゃーきゃー煩く騒ぐばっかだけど、アイツは変わってねーもん…静かに見学するし、媚びもしねーし、愛想もいいし」
「ふーん?」
 それだけなのかねぇ、本当に…と思いながら、ジャッカルは何気なく手を伸ばし、丸井が広げていた紙ナプキンの上のクッキーを一つ摘まんでひょいっと口の中に放り込んだ。
 仲間のスナック菓子を軽く口に入れる程度のことは何処の学校でも日常茶飯事で行われているし、この立海も例外ではない。
 加えて言うと、ジャッカルがそういう行為をしたのもこれが最初ではなく、更に逆の立場での場合も幾度もあった事だ。
 たまに丸井から『とっておきのお菓子なんだぞい』と軽い苦情が来る事はあったものの、殆どは暗黙の了解で見逃されてきていた。
 しかし、何故か今回はこれまでとは違った。
「…!!」
 はっと大きな瞳を更に見開き、クッキーを食べた相手を凝視すると、丸井はいきなりヒートアップした様子で相手に迫ったのだ。
「あーっ! 何勝手に食べてんだよい、俺のクッキー!?」
「おっとと…いいじゃないか、一個ぐらい」
「ダメ!! 俺だけのなんだから!!」
 珍しく本気に近い状態で怒っている相手に、流石のジャッカルも何事かと訝しんだ。
 確かに食欲は人一倍あった相棒だが、ここまで大人気なく、しつこく怒るというのも珍しい。
 もしかしてこのクッキー、普通に売っているものとは違うのだろうか?
「ああ、悪かったって…しかし何だよ、これってそんなに高いモンだったのか?」
 謝り、問い掛けるジャッカルの台詞の間、丸井はぶすっとふてくされた顔でナプキンごとクッキーを大事そうにしまおうとしていた。
「別に…タダだし」
「は?」
「…あいつが…竜崎が作ってくれたモン」
「竜崎が?」
 だったら尚更おかしいだろうと、ジャッカルが困惑する。
 値が張ったモノなら兎に角、タダで貰えた物なら懐も痛んでない筈だ…それに…
「アイツになら、また頼んで作ってもらったら…」
「それでもダメ!」
 丸井の返答はあくまでも頑なだ。
 絶対に譲らないとばかりにクッキー達を抱えつつ、彼はきっぱりと宣言した。
「アイツの作ったお菓子は俺だけのなんだから、そんなん関係ねい!」
「……」
 物凄い我侭っぷりだったが、長年の付き合いであるジャッカルはそこに隠されている別の意図に気が付いた。
 ちょっと待て…それは、つまり…『そういうコト』じゃないのか?
 数とか値段じゃなくて、それを作ってくれた『対象』にそこまで執着するって事は…
「…ほー」
 だとしたら最近の、こいつのアイツに対する態度も納得出来る話だな。
 自分の中で一つの正解を導き出したジャッカルは、すっきりとした様子で相手を見下ろし、うんうんと頷いた。
「成る程ねぇ…誰にでも春ってのは来るもんなんだなぁ」
「あ? 何言ってんだよい」
 しかも、向こうはまだ自分の気持ちに気付いていない様子だし…
 むすーっと不機嫌が直る様子のない相棒に、ジャッカルはぴし、と人差し指をつきつけて指摘した。
「惚れたな?」
「今日を限りに縁を切る」
「俺にじゃねぇよ!!」
 ナニ気持ち悪い勘違いしてるんだ!!とジャッカルがサボテン状態になりながら真っ向から否定し、訂正した。
「俺じゃなくてアイツだアイツ、竜崎! お前、アイツが好きになったんだろ?」
「え…?」
 指摘された若者が一瞬きょとんとする。
「お、俺が…? 竜崎、を?」
 好きに、なった…?
 そう考えた瞬間、これまで自分が見てきた桜乃の姿が一気に脳裏を巡り、それが全て巡り終える前に、丸井はわーっ!と大声を上げて手を振り回していた。
 嫌悪感ではない…何故かひたすらに恥ずかしかった。
「ちっ! 違う! 絶対違う! だって俺、馴れ馴れしくベタベタしてくる奴、嫌いだし! そりゃあ作るモンが美味いのは嬉しいけどさ! 単にそんだけだって!!」
(言ってることがまるっきり逆になってるんだが…)
 ついさっき、竜崎はそういう人種とは違う、とその口で言ったばっかりだろうが…と心の中で突っ込んで、丸井の相棒はやれやれと溜息をついた。
「別にいいけどな……知らねーぞ、そんな事言ってる間に他の奴に取られても」
 彼の台詞に、どき、と胸が不安を伝えるように強く鳴ったが、赤毛の男はぷいっとそっぽを向いて強がった。
「べ、別にいいよい…美味いモン貰えたら」
 そう言いながらも、その後の丸井はほんの少しだけ胸に残った懸念を消せずにいた。
(好きって…違う、よな…? そりゃ確かに良い子だけどさ、俺、寄ってくる女って苦手だった筈じゃんか。あー、でもそんな事言われたら、今度アイツに寄られたら、どんな顔したらいいのか分からねーじゃん…それに、アイツの好きな奴って…い、ない、よな?)
 しかし、幸か不幸か、その日の昼休みも放課後も、いつもなら元気な姿を見せてくれるあのおさげの少女は、遂に姿を現す事はなかった。



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