ごろごろごろ…っ
沢山の林檎が地面を転がってゆくその中で…
ごろんっ…
「…はい?」
運んで来た切原卿が思わずそう言った目の前に、林檎ではない一つの物体が転がっていました。
少女です。
あの、親に捨てられたのだか何なのかよく分からない境遇の娘が、大きな林檎の様に転がって、へちゃり、と地面に突っ伏していたのです。
『……』
周りの男達は声もありません。
当たり前です。
自分達は年貢の果物を検分していたのであって、人身売買をしていた訳ではないのです。
なのに、目の前に一人の少女。
「…ちょと、色々と突っ込みたいんですけど」
「これ、ほんっとうにウチへの年貢か?」
「……」
丸井とジャッカルが唖然としたまま切原卿へと声を掛けますが、相手は最早答えられない程に混乱していました。
これは最早、自分の居眠り事件どころの騒ぎではありません。
現在の立海の皇帝は厳格で名高く、特に風紀に関しては潔癖症とも取られかねないほどに熱心なのです。
そんな皇帝の城に、うら若き娘を年貢として持ち込もうなどという悪徳商人の様な真似、どう考えたって正気の沙汰ではありません。
勝手にギロチンの露にしてくれと首を差し出すようなものです。
無論、そんなつもりなど毛頭無かった切原卿は、いきなり自身に振って湧いた不幸に、見事なまでのパニックに陥ってしまいました。
何かの間違いだ! きっと何かの間違いだ!!
きっと、林檎に惹かれてこの娘が勝手に籠へと潜り込んで、そのままここに運ばれてしまったに違いない! いや、そうであってくれ!!
そんな気持ちと、ついでに頭を抱えてしまっていた卿の前で、転がっていた娘がのろのろと身体を起こしてひょい、と皆を見上げました。
黒髪が美しいおさげの少女は、きょと、と全員を見回します。
「…アンタ、何?」
「……あ、お城に着いたんですか?」
丸井が尋ねると、相手はそこが城の何処かであると感じ取ったのか、三人に向かってぺこりとお辞儀をしました。
「桜乃と申します…ふつつか者ですが、どうぞ宜しくお願いします」
年貢確定。
「ウソだ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
とんでもない方向へと事態が進んでいくのを感じながらも、自分ではもうどうしようもないトコロまで及んでいる事を感じた切原卿でしたが、それで申し開きになる筈もありません。
「ま、取り敢えず、大臣に連絡するから話はそっちでな」
「何か俺ら、どっかの刑事みてぇ」
愕然とする切原卿は、無実の身でありながら、桜乃と共に城の中へと引き立てられてしまったのでした……
「またお前か」
切原卿の顔を見た一人の大臣が、開口一番そう言い放ちました。
この皇国を統治する皇帝の傍に仕えていた、柳と言う非常に有能な大臣は、過去の切原卿の無体も当然知っています。
だからこその今の台詞でしたが、対する切原卿は目上の相手に向かって、構わず大声で怒鳴りました。
「今回ばかりは納得いかねーっつの!! こんな奴入れた覚えはねーってば!!」
「……お前、その台詞そのものが安っぽいドラマ並だと気付いているか?」
「あああああ!! だから尚更ムカつく〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」
自分で言っておきながら、自分で自分を貶めている様な台詞に切原卿は悶え苦しんでいましたが、隣の少女は何が起こっているのかよく分からない様子です。
二人が引き立てられた広間は皇帝との謁見で使われる場所でもあり、見事な装飾を施された間の最奥中央には、深紅の玉座が誂えられていました。
そこに座し、彼らを見下ろす一人の男…真田皇帝です。
見るからに厳格そうなその屈強な男は、怒りで声も出ない様子で切原卿を睨みつけていました。
その迫力は、卿を押さえつけていたジャッカル達ですら慄かせてしまう程でした。
「貴様…我が城でこんな愚行を犯そうとはつくづく命知らずと見えるな赤也っ!!」
最早、卿も付けずに名だけで呼んでいるのですから、相当なご立腹振りの様です。
「だから誤解ですって!!」
「彼女は年貢で来ている事を自覚しているのだろうが!!」
「そーかもしれませんけど、俺は知らなかったんですってば!! 知ってたら速攻で彼女は引っこ抜いて来てました!!」
そんな二人のやり取りをげんなりとして聞いていた大臣の柳は、ぽつんと取り残されている桜乃へと目を遣りました。
「…そもそも、お前は年貢としてここに来たと言っているが…それは本当の事なのか?」
「…はい、今年は何故か家の林檎だけが不作で…どうしても籠に入れる分が足りなくて、父が私を代わりに入れて納めたのです」
「……父?」
おや?と柳大臣は首を傾げました。
どうやら、話の食い違いに気が付いた様です。
「父? お前の父親がお前を籠に入れたのか…切原卿はそれを知っていたのか?」
「…分かりません。でも、父はこの城に着くまでは絶対に隠れて人に見られるなと言いましたから…」
「……成る程」
そういう事か…と察した大臣は、皇帝へと声を掛けました。
「皇帝、どうやら切原卿は本当に何も知らない様だ」
「む?」
「彼女の家の作物が不作で、父親がかさを増す為に彼女を籠へ入れたらしい…まぁ、人身御供なのは変わりないがな」
「何っ!?」
「助かった〜〜〜〜っ!!」
ごんっ!!
やっとこれで身の潔白が!と喜んでいた切原卿でしたが、すぐにそれを咎められ、彼は皇帝から直々に拳骨を喰らってしまいました。
「こんな幼い娘の不幸に助かったとは何事だ―――――っ!!」
「こっちゃクビ掛かってるんすよクビ―――――――ッ!!」
この年でギロチンの露になって堪るかっ!と卿が必死に反論している脇では、桜乃の身の上を知ったジャッカルと丸井が涙を流して少女を哀れんでいます。
「真実の方がよっぽど憐れなこの不思議さよ…」
「泣かせる話だなぁ、ええおい」
二人の善人がよしよしと桜乃の頭を撫でている向こうでは、柳大臣が至極現実的な話を皇帝に振っていました
「どうするかな、この娘…」
「どうするもこうするもない。分かった以上は家に返すのが道理だろう」
「だがそうなると、作物の量が明らかに足りないという事になり、この一家にはそれなりの罰が科せられることになる」
「む…」
大臣の言葉に皇帝がどもり、桜乃の顔色は青ざめました…無理もない話です。
厳格ではありますが弱者に対して冷酷でもない皇帝は、まさか本人の前で家族への罰を命じる訳にもいきませんでした。
「その地帯一体が不作であるのなら救済策も打ち出す事が出来るが、その家一つの為に大事を動かす訳にもいかないだろう。他の民も納得はしない」
「ううむ…」
困った皇帝の前で、その幼い少女は膝を付き、相手を伏し拝みました。
「お願いです、返さないで下さい! ここに置いて下さい、私何でもしますから!」
「……」
実は情に脆い皇帝は、ここまでされると流石に強硬手段にも出られなくなりました。
家族の為に身を捧げようという見上げた気概の女子を無碍に扱うなど、それこそ人でなしの所業です。
「…仕方ないな、まさかここに来て無慈悲に放り出す訳にもいかんか…では適当に召使にでも…」
「それはやめた方がいい、真田皇帝」
相手の提案を、しかし柳大臣は即座に止めました。
「召使になるにも、それなりの手続きというものが必要だ。ましてや片田舎から来た娘をいきなりそういう立場に取り立てたら、間違いなく彼女自身があらぬやっかみを受ける事になるだろう」
「片田舎で悪かったっすね」
「……女は怖いな」
切原卿の台詞は無視で、渋い顔でそう言う皇帝に、大臣はふむと少し考えた後にジャッカル達へと顔を向けて、一つの提案を持ちかけました。
「丁度ここで見届けた縁もある…彼らに任せるのはどうだろうか?」
「む…ジャッカル達にか?」
「馬飼いと野良仕事を手伝う為に雇った娘と言えば、召使達も妙な勘繰りは入れないだろう…だが、やはり仕事はきついものになると思うが…お前に出来るかな?」
問われた少女は、こくこくこくと首を何度も縦に振りました。
「野良仕事なら、家でもやっていました。置いて下さるのなら、何でも!」
「……」
桜乃の瞳の中に見える決意に、大臣はおそらく彼女が即戦力になってくれるだろうことを既に予想し、皇帝に頷いてみせました。
優秀な大臣のお墨付きであれば、皇帝も文句はありません。
「では、ジャッカル、丸井、お前達にこの娘を預ける。初めは誰であっても慣れないものだ。よくよく指導を怠るな」
「了解」
「お任せ」
既に心情的には桜乃の味方になってしまっていた二人は喜んで彼女の世話を引き受けました。
「ジャッカルだ、御者をやってる」
「庭師の丸井だよい、宜しくな」
「はい…宜しくお願い致します」
三人は、そこで簡単に挨拶をした後に、彼らの仕事場へと早速移動して行きました。
残ったのは、最初に濡れ衣を着せられた、或る意味一番不幸だった切原卿です。
「…俺ももう帰っていいっすよね」
疑いは晴れた訳だし…と申し出た卿に、大臣は勿論と頷きましたが、隣の皇帝は再び玉座に座した後も何となく不機嫌な表情でした。
「……全く紛らわしいことを」
「だから何度も説明したでしょこっちは〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
やっぱり理不尽だ!と、結局、切原卿は無罪放免となりながらも、ぷりぷりしながら自分の城へと帰っていきました。
そしてその日から、桜乃は初めて見る城で、全てが初めての経験の中、働いていく事になったのです。
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