「うわー、結構長い通路にでちゃったなぁ…立海の皆さんの姿が見えたらいいんだけど…」
 あの部屋にささやかなミステリーを残すきっかけになったとは知る由もないままに、桜乃は相変わらず施設の中を闊歩していた。
 忍足に会えたのだから、他の中学生にも会えるかと思いきや、なかなか人影が見当たらない。
(やっぱり、今は殆どの人が外にいるのかなー。中のジムとかで筋トレとかしてないのかしら…?)
 それとも自分に運がないだけかな…とも考えたが、あまり認めたくなかったので、それ以上の考察はやめておく。
「うーんうーん……あっ」
 通路を道なりに行き、曲がったところで桜乃は久しぶりに自分以外の人間を見た。
 またも後ろ姿…だが、おそらく合宿所に来ている生徒なのは間違いない。
 しかも、あの髪の色は…!
(比嘉の平古場さんだぁ…!!)
 サラサラのあの金髪は見覚えがある。
 背格好も似ているし、高校生っぽい感じでもない。
 高校生ではない、と感じたのは、彼らが共通して着ているジャージではなかったからだ。
 他に知っている学校であれだけ長い金髪の人はいなかった筈だし…と、桜乃はとたたーっと小走りにそちらへ向かって行った。
 平古場であれば全国大会から既に見知った仲なので、質問にも答えてくれるだろう。
「あー。良かったぁ、やっと知ってる人に会えたぁ…! あの、平古場さん…!」
「?」
 桜乃の呼びかけに気づき、相手がくるっと振り向く。
 そして、互いの間には何の障害物もなかったので、二人はそのままダイレクトに視線を合わせた。
「…」
「…」
 両者、沈黙。
 互いの顔を確認している中、桜乃はあまりに予想外の現実にぶち当たり、心の中で悲鳴を上げていた。
(きゃあああああああ〜〜〜〜っ!! がっがっ…外人さん〜〜〜っ!?)
 明らかに知っている平古場とは異なる顔立ちだった。
 しかも、よりにもよって日本人ですらない。
 金髪は地毛で、両の瞳は薄いブルー…正面で見たらはっきり分かる白色人種の肌の色!
 どうしよう! 平古場さんだとばっかり思って、思い切り声かけちゃった!
 周囲に人はいないし、今更なんて言えばいいんだろう!?
 私、そんなに英語も出来ないし〜〜〜!!
 あらゆる困惑の台詞が浮かんできたが、残念ながらそれらはこの窮地を脱する為の呪文にはなりえない。
「…………」
 おろおろおろおろ…!!
 気の毒に思える程に動揺している少女の姿を見つめていた、金髪で優男の外人は、何かを思いついたのか「ああ」というジェスチャーをとりながら、くい、と親指で自分の向かう先だった後方を指し示した。
「ソレなら、ココを真っ直ぐ歩いて左…」
「お手洗いじゃありませんっ!」
 相手が言わんとしている内容を察した桜乃が、思わず赤くなりながら力強く否定する。
 そして羞恥が困惑を上回っての返事の後で、はた、と少女が気づいた。
「あ…通じてる」
 言葉が…分かる。
「…?」
 向こうの若者は、まだ状況が今一つ把握出来ないと首を傾げ、桜乃を見下ろしていたが、その瞳には特に怒りや軽蔑の色は見られない。
「…あの…日本語…分かるんですか?」
「…スコシ」
 ゆっくり問いかけると、向こうはこくっと縦に頷きながら返事を返してくれた。
 確かに流暢とは言えない、実にたどたどしい返事だったが、話が通じているだけでも桜乃に大きな安心感を与えた。
「あ、良かった…ええと…」
 とにかく最初は自己紹介だよね…と考え、桜乃はぺこ、と相手に礼をした。
「えーと…How do you do. My name is Sakuno.」
 日本語英語ではあったが、十分に相手にその意味は通じるだろう定型の挨拶。
「…」
 こちらが親しんでいる英語に則っての自己紹介をしてくれた事に好意を覚えたのか、向こうは無表情だった顔に微かに笑みを浮かべると、そっと自然な動作で桜乃の右手を取った。
「え…」
 いきなりの事に戸惑う桜乃の前で、その金髪の美少年がちゅっと彼女の手の甲に粋な仕草でキスをした。
 よく西洋の映画などでも観る、基本的な紳士の挨拶…だったが、生粋の日本人である桜乃にとってはそれでも大きなカルチャーショック。
(きゃああぁぁぁ〜〜〜〜!! なっ、何か物凄くサマになってる…っ!)
「ワタシはクラウザー…リリアデント・クラウザーといいマス。クラウザーと呼んで下さい、little princess」
「え…リル・プリンセス…って」
 自分をお姫様扱い!?
 流暢な発音を繰り返し、その意味を理解した桜乃がまた真っ赤になっていたところで、そこにまた新たに一人の人間が現れた。
「あ」
「っ?…」
 相手の出した声に反応してそちらを向いた桜乃の目に映ったのは、真っ白な白の帽子と、それを被った少年の大きな瞳。
 そう、青学の越前リョーマだ。
 丁度、自分達が向かおうとしていた方向から、彼が歩いて来ていたのだ。
「あ! リョーマく…」
 こんな場所で、バイリンガルの少年と会えたのは正に天の導き!と喜んだ少女だったが…
「せんせーい、ここに不純異性交遊してる人達がいまーす」
「うわあああぁんんっ!! やっぱりリョーマ君だぁぁぁ〜〜〜!! 違うの違うの〜〜〜っ!」
 くるっと背を向けながらそんな事をのたまう相手に、桜乃はやっぱり相手の性格が変わっていない事を痛感しながら必死に追い縋った。
「分かってるよ、アンタも相変わらずだね…クラウザーもここで何してるのさ?」
「Ryoma…?」
 越前の姿を見たクラウザーは、相手には遠慮もなく口語も一般の英語そのものに戻り、それから聞き取れない程の速さで相手に何かをペラペラと話し始める。
 それに対して越前も全てを聞き取っているのだろう、軽く何度か頷きながらペラペラと英語で返していた。
(うわ…ここだけ英語圏だぁ…何言ってるのかさっぱりだけど…)
「…ふーん、で…」
 クラウザーとの会話を一通り終えた越前が、再び桜乃に振り返って、先の道をぴっと指し示した。
「…トイレならここから真っ直ぐ行って左…」
「違うってば!! 私は立海の皆さんに会いたいの!」
 まさかその内容をずっと話していたのでは、と一抹の不安を感じつつ桜乃は改めてそれを全否定し、越前に自分の目的を伝えた。
「立海…?」
「うん、お祖母ちゃんと一緒にここに来れることになったから、皆さんにもお会いしたいと思って探してるんだけど姿が見えなくて…リョーマ君、知らない?」
「…」
 別に自分は彼女と恋人でもないし、只のクラスメートに過ぎないのだが、何故か心が落ち着かない。
 ここに来て、先ず会おうとしているのが自分達青学の面子ではなく、よりにもよってあの立海の面々とは…
 確かに彼女と彼らが普段から親しく交流しているのは知っていたが、まさかここまでとは思っていなかった少年は、自分でも分からない苛立ちをほんの少しだけ胸に抱えながら、ついその感情の赴くままに答えてしまう。
「…さぁね」
 否定でもなければ肯定でもない何とも曖昧な返事だったが、そこですかさず桜乃の女性ならではの勘がぴーんっと働いた。
「あ、何か今のは知ってる感じの沈黙だった」
「……そお?」
 指摘されても相変わらず勝気な笑みでさらりと流す少年に、桜乃がもう、と唇を軽く尖らせる。
 このまま多少時間が過ぎて自分が粘っても結局は教えてくれるんだろうけど…何か悔しい。
「む〜…相変わらずつれないんだから…あ、そうだ」
 何とか相手の閉ざされた口を早めに割らせようと思っていた桜乃が、取っておきのグッズを持っていた事を思い出し、早速それを行使すべく手持ちの荷物の中から取り出した。
「何か思い出したら、持って来た、カルピンの新しい写真あげるけど…」
「ワカメ! ワカメなら向こうのトレーニングルームで見た」
 ぴらっと桜乃が差し出してきた白い封筒に、越前が珍しく一も二もなく飛びついた。
 やはりこの少年は、まだまだ恋愛よりもテニスや愛猫の方が優先順位が先らしい。
 立海の期待の二年生エースを、本人が何より嫌っている仇名で呼んだ少年に、桜乃が呆れながら交換条件で持ち出した封筒を手渡した。
 元々相手にあげようと思って持ってきたものなので、取り敢えずこれでまた目的が一つ果たせたことになる。
「…それ、切原さんの目の前では絶対に言っちゃダメだよ」
「分かってるよ…」
 語尾が殆ど聞こえない程小さくなっているのは、別に良心の呵責ではなく、悪戯を画策している訳でもなく、単純に封筒から取り出したカルピンの姿に夢中になっているからだろう。
 視線も完全に写真に向かっており、最早こちらには一瞥も向けようともしていない、或る意味凄い集中力だ。
「もう…トレーニングルームはあっちね?」
 トイレが左側ならルームは突き当たって右側だろうと桜乃が再確認すると、越前があっさりと首を縦に振った。
「道なりに行けば嫌でも着くから、それで迷ったんなら異次元だから諦めなよ」
「うっ…悔しいけど、何も言い返せない…じゃあね、合宿頑張ってね!」
 後は一人で行けそうだと思った桜乃は、越前に声を掛け、傍にいたクラウザーにもぺこっと笑顔で一礼し、廊下を歩いて行った。
『…リョーマ?』
『何?』
 英語で話しかけてくる相手に、越前は相変わらず写真に集中しながらぞんざいな返事を返したが、クラウザーもクラウザーで桜乃の後姿に注目したままだったのでおあいこだ。
『…いいのか? 彼女を案内しなくても。まだ小さい子なのに』
『そこまで子供じゃないよ。一応俺達と同じ中学生なんだし、後は殆ど一本道だし』
『同じ!?』
 そこでクラウザーは驚いた表情で越前を見て、改めて小さくなった少女の背中を見直した。
『…俺はてっきり、キンダー(幼稚園)かエレメンタリースクール(小学校)の児童かと…』
『アンタら(外国人)から見たら、日本人はちっちゃいもんね』
『……』
 あっさりとした越前の台詞に、クラウザーはまだ文化というか人種の相違を目の当たりにした驚きに囚われているのか、目を見開きながら桜乃を見送っていた…





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