「…」
「…」
 ついさっきまで仁王が軽く口にしていた不吉な予想が悉く的中していた事実をようやく彼らも知ることとなり、暫し男達は無言を守っていたが、やがて銀髪の若者が疲れた表情で隣の相棒を見遣った。
「あいつらがここ(真田宅前)に引っ越したんは、或る意味神の情だったんじゃろうな…」
「おちおち安心して外にも出られませんねぇ」
 自分達が戻って来て、いざ玄関の扉を開けたら二人の行き倒れが…など到底笑えない。
 仁王の言う通り、目の前にライフラインとも言える善良な友人達が住んでくれているのは、冗談抜きに有り難いことだった。
「そうか…道理でこんなに大量の食料を準備しとった訳じゃ」
「幸村君達だけでなく、丸井君達の分も含めてですからね」
 彼らがようやく桜乃の行動の意図を掴んだところで、その桜乃がにこ、と笑いながら二人に出来たばかりのサンドイッチの山を示した。
「お二人とも、お腹が空いているならどうぞ。まだ食材も残っているし、多分持って行く分は足ると思いますから」
「ん…」
「はぁ…」
 最初は許可を受けるより先に手を伸ばそうとしていた仁王も、少女の気遣いの後では何故かなかなか手を出そうとはせず、それは柳生も同様だった。
 もしかしたら最初に見せた悪戯も、柳生の諌めも考えた上での冗談だったのかもしれないが、仁王は毒気を抜かれたとばかりに桜乃に苦笑を返した。
「や、そこまで聞いたら手は出せんよ。あいつらの為に一生懸命作っとるお前さんの横で、無神経にばくばく食べる程図太くもなれん、のう柳生よ」
「そうですね」
「でも…お腹、空いてらっしゃるんでしょう? お辛くありませんか?」
「ん〜」
 空腹は然程苦痛ではない二人だったが、桜乃に余計な心配を掛ける事も憚られ、彼らは軽く考えたところで、では、と代替案を出した。
「ではこうしましょう。今は私達も遠慮することにして、桜乃さんのお手伝いをします。これで多少は時間も削減出来る筈です」
「全部出来上がったら、それを持って三人で立海に行けば、全員で昼食をとれるじゃろ。これなら誰も文句はない筈じゃ」
「まぁ…いいんですか? 帰って来たばかりでお疲れなんじゃ…?」
「この程度、何でもない。どれ、善は急げじゃ、エプロン借りるぜよ」
「仁王君は野菜の水切りをして、具を挟む作業をお願いします。桜乃さんはパンの下ごしらえをして下さい。ふむ…」
 二人に指示を出しながら、傍の棚に掛けられていたエプロンを仁王にも手渡し、柳生もばさっと慣れた手つきで自分の分のそれを身につけると、切り落とされ、積み上げられていたパンの耳に目を遣った。
「折角ですからこれも使いましょう。私はこれをオーブンで焼きます。軽く砂糖やシナモンなどをまぶしたら、結構美味しいおやつになるんですよ。丸井君も喜ぶでしょう」
「わ、美味しそうですね! じゃあ、お言葉に甘えてお願いします。仁王さん、私達も頑張りましょう」
「そうじゃの。あいつらもそろそろ腹減らしとるじゃろ」
 かくして、予想外の援軍を得た桜乃は再び兵糧確保の為に働き始めたが、その陰で仁王が彼女に隠れてこそりと柳生に耳打ちしていた。
「この場にもし幸村達がおったらと思うとぞっとするのう…」
「確かに…私達が下手なコトさえしなければ問題はないとは分かっていますが、ね」



 ぴくーんっ
 その時、その美麗な若者の持つ白い猫耳が見事に尖った。
「…桜乃が呼んでいる気がする」
「気のせいだ」
「全くもって気のせいだな」
 一方、立海校舎内の廊下にて…
 相変わらず桜乃の事を案じているらしい幸村は、休み時間の廊下で見えない電波を受け取った様な独り言をぼそりと呟いていたが、それは傍にいた柳と真田によって即行で否決された。
「そうかなぁ…」
 友人達の言葉に別に怒る様子はなかったものの、それも虚ろに聞き流している様に、幸村はぼんやりと廊下の窓から外の景色を眺めている。
「今の時間帯なら、桜乃はまだ俺の指示を守って食事を作ってくれている筈だ。お前が拾ってきた子なのだから心配する気持ちも分かるが、もう少し彼女を信じてやるといい、精市」
「うん……ん?」
 尤もな相手の言葉にそちらを向いた幸村が、柳の開いていたノートに視線を遣り、くすりと笑いながら手を伸ばした。
「…さ・か・さ・だ・よ、蓮二」
「う…」
 幸村によって優しく取り上げられた柳のノートは、確かに上下逆の状態だった。
 流石にノートを逆さにするという行為の正当性を主張する事は出来ず、柳が珍しく口篭る。
 そして今度は、幸村は真田へと注意を向けた。
「そう言えば弦一郎も、何となく今日は静かだよね」
「そ、そういう事は…」
「あ、桜乃だ」
「っ!」
 ちらっと窓の外を見ながらの幸村の発言につられる形で、真田ががばりと同じく窓に縋って外を見る…が、眼下に広がる地面の何処にもそれと思しき少女の姿は見えず…
「…やっぱり気にしてるんじゃない」
「…」
 言葉に詰まった真田の手が窓のサッシに掛かり、してやられた悔しさにぐっときつく握られる。
「…ま、今回についてはお互い様ってことだよね」
 下手なやせ我慢をしてみたものの、自分を含めた全員が同じ様に桜乃の事を心配しているのは間違いない。
 彼女にたった一人でここまで大きな事をさせるのは初めてなのだ。
 見た目は自分達とそう違わない年頃の娘だが、これまで外の世界を知らず、ずっと大事に飼われてきた『世間知らず』のウサギの獣人。
 何も知らないが故に純粋過ぎるところがあり、だからこそ彼女がいつか傷つくのではないかと不安にかられることがある。
 かと言っていつまでも閉じ込めておくのも、正しい形ではないのは分かっている事ではあるのだが…
「…ん」
 自嘲していた真田の目が再び眼下の景色へと移った時、鋭い彼の視線が何かを捕らえ…それを確認した所でふぅと彼の口から吐息が漏れた。
「…・『お互い様』なのは、どうやら俺達三人だけではないようだ」
「ん?」
 真田の言葉に続いて彼の指先が示す先を見た蓮二の細い目は、そこに蠢く二人の人影を見た。
「…ああ、彼らもか」
 ジャッカルと丸井が、揃って校門の柱の傍できょろきょろきょろっと忙しなく外の道路の左右を交互に見回している。
 まるで誰かを探すように…いや、誰を探しているのかなど、もう分かりきった事だが。
「凄いよねぇ」
「うん?」
「俺達のテリトリーの中に入って来たばかりなのに、もうこれだけ影響を及ぼしているなんて。尤も彼女は、そんな事ちっとも自覚してないんだろうけどね」
「そうだな」
 幸村の感心の言葉に真田も異はないと頷いたが、そんな二人に何かに気付いた様子の柳がやや小さな声で話しかける。
「ところで、な……」
「ん? どうしたの蓮二」
「…その、どう見ても影響を受けた人間がもう一人……」
「…」
「…」
 微妙な動作で『後ろを見ろ』と指示した参謀に倣い、二人がさり気なく背後を伺うと…
「…完全に気付いちゃってるね」
「こういう事に限っては鋭いヤツだ…」
 二年生で唯一レギュラーの座を得ている生意気でやんちゃな少年、切原赤也が、いつからか廊下の角からこっそりと覗き込み『ナニ隠してるんスか先輩方〜・・』と言いたげな瞳でこっちを見つめていた…





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