「あのう……何があったんですか?」
後輩の質問に、丸井とジャッカルが視線を逸らして言葉を濁す。
「あ〜…いやそのー」
「聞くも涙、語るも涙のアホらしい問題がな…」
「???」
ええ?と桜乃が首を傾げていると、そんな相手を見ていた詐欺師が、苦笑しながら幸村に声を掛けた。
「幸村、桜咲には教えてやったらどうじゃ? 現場も見て話も振られて、それで『関係ない』じゃこいつも納得せんじゃろ」
「あ、いえ…別に無理強いをするつもりは」
桜乃が仁王に断ろうとした時、続けて相手がやや小さな声で付け加えた。
「…それに、教えんことには、こいつ巻き込めんし…」
「ややや、やっぱり聞かなかったことに…!!」
また悪い予感がっ!と再び脱兎の如く逃げようとした桜乃だったが、再び襟首を仁王に掴まれ、捕獲される。
「お前さんも諦めが悪いのう」
「竜崎君で遊ぶのも程々にして下さい、仁王君」
どうもこのいちいち素直な反応を返す後輩を面白がり、からかって遊んでいる様子の詐欺師に紳士が再び苦言を呈していると、彼から話を振られた部長が少し考えた後で頷いた。
「そうだね…なるべく非レギュラーには知られたくない話だったから、人払いの意味で朝練を中止したんだけど…桜咲なら外に吹聴する心配もないしね」
「いいのか? 精市」
「うん」
どうやら、桜乃には理由を教える事を決めたらしい幸村が、相手に向かって優しく微笑みかけた。
状況からただ事ではない話の筈なのだが、相変わらずその笑顔からはそんな雰囲気は微塵も感じ取る事が出来ない。
「三日後にウチの学校で海原祭があるだろう? ウチの部では、執事喫茶をやろうって話になってた」
「は、ぁ…」
既に知っていて当然、という相手の話口調だったが、桜乃は曖昧な肯定の返事を返す。
そう言えば、現実世界でも立海の面々から今年の海原祭はそんな事をする、という話を聞いていた…成程、それがこの夢に影響しているのか…
「先輩方なら、凄く似合うでしょうし女子も沢山来るでしょうね。でも、それの何が問題なんですか?」
おべっかではない本心からの評価だったが、それを受けた幸村は、何故かはぁ…と力なく溜息を一つ零した。
「それが…切原が、他の運動部の部員の口車に乗せられちゃってね…ちょっと困った事になっちゃったんだ」
「切原先輩が…?」
まぁ、このメンバーの中で一番トラブルを起こしそうなのは確かにこの人だけど…と密かに思いつつ、桜乃は改めてその内容を尋ねてみた。
「だから切原先輩が、三強の皆さんに囲まれていたんですか? 一体何を…」
「全く…口に出すのもバカバカしい!」
聞かれた事で怒りが再燃したのか、真田はそうきつく言い捨て、代わりに冷静な柳が説明する。
「噛み砕いて言うと、赤也が、女装したメイド姿での接客勝負を受けたのだ」
「……」
目玉が皿になってしまった桜乃の前で、切原が慌てて柳に叫んだ。
「噛み砕き過ぎてコナゴナっすよその言い方!!!」
「状況は似た様なもんだろ」
ジャッカルが突っ込んだが、それには誰も異を唱えない。
「じょ…女装…っ!?」
まさか切原にそういう趣味が!と見つめる桜乃の視線に耐え切れず、本人が挙動不審になりながらも必死に弁解する。
「だーかーらー!! 違うって!! 俺は向こうの部の奴が、自分トコの女子をメイドにしたら、こっちなんか敵じゃねぇなんてふざけたコト抜かしやがったからつい…!」
「……つい?」
幸村の静かで低い声での促しに、切原は一度言葉を切り…顔を俯けて恐怖に怯えながら答えた。
「『…こっちだって女装したらそっちに負けねー』って……」
「それが敵の罠だと分からなんだか、たわけが――――――っ!!!」
がぁーっと怒りで口から火を噴きそうな勢いの副部長に責められ、切原は小さくなって謝りまくっている。
そんな後輩を眺めながら、柳生が眼鏡に手をやりつつ困った口調で呟いた。
「…正統派の店として攻めるつもりでしたが、こうなると最早イロモノ扱いですね」
「困ったもんじゃの」
困った、と言いながらも仁王は何処となく楽しそうだ。
何故、朝練を潰してまでのいきなりの朝の会合になったのか、おおまかなところが読めた桜乃に、丸井達が締め括る。
「その話が持ち上がっちまったのが昨日の夕方でさ、家に帰った後で電話で聞いた当初は幸村達もすげぇコトになってたらしい…非レギュラーには言えねぇだろい、流石に…そんな訳で、朝練は急遽中止、俺達だけのミーティングになったってワケ」
「……」
夢の中だとしても、ささやかな自分の望み…対等な立場で彼らとテニスをしたいという希望を砕かれた桜乃は、恨めしげに切原を見つめた。
「……そんな下らない理由で、僕の大事な夢を潰してくれやがったワケですね…?」
「なっ、何か桜咲がグレかけてるっ!」
「グレたくもなるでしょう、こんな先輩持ったら」
びくっと切原が相手の珍しい乱暴な言葉使いに威圧されている姿に、柳生は淡々とそう応じ、ジャッカルがまぁまぁと桜乃の肩をぽんぽんと叩いて、改めて切原と三強の方を指し示す。
「そういう訳でな、今はあの魔のバミューダ・トライアングルが絶賛活躍中」
「大変よく分かりました…」
桜乃への説明で一時脱線してしまったものの、そこで改めて幸村は直面した問題について解決策を考え始めていた。
「幾ら売り言葉に買い言葉って言っても、一度受けてしまった挑戦に、尻尾を巻いて逃げる訳にはいかないね」
「かと言って見世物紛いになる訳にもいかない。俺達は立海テニス部だ、その内容が何であれ常に勝者であらねばならない。笑いものになるなど言語道断」
柳の言葉に無論だと頷きながらも、真田は愁眉のままだった。
「しかしそうなると、誰を女装させるかというところからよく考えなければならんぞ…幸い人物の指定までには至らなかったようだから、一番見栄えがそれらしい奴を…」
『……………』
「……はい?」
何でしょう、この痛いまでの十六個の目が向けてくる視線は…
まさか…まさか、部屋に最初に入った時にあからさまに感じた嫌な予感って、まさか…
振り払いたくても振り払えない悪寒を感じつつ何かを言おうとした桜乃に、がばちょっと切原がしがみついてきた。
「頼む桜咲っ!! オメーが女装してっ!!」
「やっぱりそう来るんですかー!!」
考えたくなかったけど、予想通りの展開…!
普段は後輩の悪戯や暴走を抑える先輩達も、この時ばかりは渋い顔をしながらも彼の行動を積極的に止める様子はなかった。
「まぁ…確かにね」
「こう言っちゃなんだが、俺達の中で一番中性的なイメージがあるのは桜咲だからなぁ」
幸村とジャッカルがうんうんと頷いてその理由を述べる。
(…幸村先輩もなかなか…と言ったら怒られるんだろうなぁ)
恐ろしい事を考えながらも、桜乃はそれ程に大きな動揺も起こさずに事態を受け止めていた。
動揺を起こさずに済んだ理由は、何よりこれが自分の夢の中の話であること。
夢の中ならいつかは覚めるものだし、現実世界に己の醜態が晒されることもない。
そして、女装という普通の男性なら多少なりとも拒否反応を示す行動も、寝る前までは女性だった桜乃にとっては、さして嫌悪感を催すものではなかったからだ。
(と言うか、元々女性なのにマッチョになってたっていう方がショックよね…しょうがない、どうせ夢だしスカートなら普段穿いてるし…)
夢は夢と割り切って、桜乃は仕方がないと切原に頷いた。
「…しょうがないですねぇ…やりますよ」
「おおっ! 助かるぜ、サンキュー!!」
てっきり大反対に遭うものだとばかり思っていた部員達は、意外な程にあっさりと受諾した桜乃に逆にいいのかと戸惑った。
「な、何かやけにあっさりとオーケーしたな…?」
丸井の言葉に、桜乃はついぽろりと本音を漏らす。
「いえ…まぁ慣れてるし」
「え…?」
『……』
そこに広がった氷の世界の空気にようやく気づき、桜乃はばたばたと両手を振り回して弁解した。
いかに夢の世界の中とは言え、自分が特殊嗜好を持っていると、尊敬している人達に誤解されるのはかなり辛いものがある。
「いいいいいいえっ!! そ、その…実は僕っ、女顔だからって小さい頃にスカートとか穿かされてたからっ…!!」
とってつけたような弁解だったが、あながち嘘だとも言えない信憑性のある説明だったので、先輩達はそれ以上は深く追及しなかった。
確かに、夢の中で男性になったとは言え桜乃はそれでも十分に華奢であり、顔のパーツも殆ど変わっていないので女顔そのものだ。
小さい頃に女の子の服を着せられていた、と言われても納得出来るレベル。
「ああ……話には聞くね、そういうの」
「ご両親は女の子も欲しかったのかもしれませんね…触れられたくない過去かもしれませんが、どうか心を強く生きて下さい」
「はぁ…」
何だかよく分からない慰められ方だなぁ…と思いつつも、桜乃は丁度いいとばかりに、慰めてくれた幸村と柳生に先手を打った。
「あの…女装はいいんですが、せめてスカートとかはあまり派手なものにはしないでほしいんですけど…極力長めのもので肌を見せずに」
元が控えめな性格の彼女のリクエストに、幸村達はそれが男性として当然の心理だろうと上手い具合に誤解してくれたらしく、すぐに了承してくれた。
「ああ、それは勿論だよ」
「やたらと露出しても、それは一歩間違えたら安っぽい、下卑た印象を与えてしまいますからね。ここは黒を基調とした足元まであるタイプのスカートで、貴族に仕えるメイドのイメージでどうでしょうか? あくまでメインは執事喫茶な訳ですし」
「成程、それなら衣裳の裾合わせも、そんなに細かくする必要もないじゃろ」
銀髪の詐欺師も同様に頷きかけたのだが…
「…いや、それが…」
ふと、そもそもの問題の発端でもある二年生エースが、遠慮がちに手を上げて話に割り込んできた。
この期に及んで、まだ何かあるのだろうか…?
「…あまり聞きたくないけど、やっぱり聞かないといけないみたいだね…どうしたの? 切原」
早くも新たな脅威を感じ取ったらしい部長が、やれやれといった口調で相手に尋ねる。
「えーと…実は、女装勝負の話の時に…」
以下、切原の回想
『へぇ、そっちもメイドで勝負ってか、面白いや。どうせ男子しかいないからって、子供騙しの大人しい服で済ませようってんだろ』
『んだとー!?』
陸上部の部員の挑発に思い切り良く乗ってしまった切原は、怒りでヒートアップした状態のまま、後先考えずに更なる挑発に乗ろうとしていた。
『因みに俺達の部では、ちゃんと膝上スカートで接客する様に決まってんだぜ? 幾ら顔がイイことで有名なテニス部でも、鍛えた筋肉モロ出しで女装なんかした日にゃ目も当てられねぇだろうな』
げらげらと笑う相手の既に勝ち誇った笑みに、切原は赤目にこそならなかったものの、かなり怒りがこみ上げていた。
そこで…ぐっと堪えてそのまま流せば良かったのだが、それが出来ないのがこの男。
『てめぇ、言いたいコト好き勝手言いやがって〜〜…そーかよ、分かった! そっちがその気なら…』
この時、隣にテニス部の誰か一人だけでも付いていてくれたら、殴って昏倒させてでも彼の暴走を止めてくれていただろう。
しかし、そんな好機には遂に恵まれることなく、切原は相手に人差し指を突き付けて、高らかに宣言していた。
『見てやがれ!! こっちだって当日の女装スタイルは、膝上スカートのニーソ付きで出てやらぁっ!!』
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