夢の中での海原祭当日…
「おっ、イイ感じじゃん」
「うん、肩周りもしっくりくるのう、これなら皿やカップも危なげなく扱えそうじゃ」
まだ客が入っていない早朝、いよいよ本番準備に取り掛かっていたレギュラー達は全員黒の執事服に袖を通して最後の服装チェックを行っていた。
「最初に袖を通した時より、随分と着易いな…気の所為か?」
「いや、気の所為ではない」
真田の言葉に、柳が否と答え、続けてその違和感の理由を説明した。
「俺達の服を頼んだ時に、全員分の各部位の長さを計測しただろう。昨日、桜咲の縫製が全て終わった後で、少し時間が空いたからと彼が手直ししてくれた。ほんの数ミリの差でも、見た目にはかなり違って見える筈だ」
喫茶店のスペースとして割り当てられた教室の中は、しっかりと薄手のカーテン生地などが前面に張られており、そこには小道具として姿見の鏡も設置されている。
それを使って試しに幸村が自分のシルエットを確認し、確かに、と頷いた。
「本当だ。最初はちょっとだぶだぶな感じだったのに、すっきり纏まってる…凄いな、あの時にはこれでも十分だと思ってたけど…」
後輩のささやかな心配りに感謝しつつ、きょろっとジャッカルが周囲を見回す。
「…で? その肝心の桜咲は何処に?」
「ああ、別所で着替え中だ…流石に女装の服に着替える現場は、俺達に見られたくはなかろう」
「…まーな」
俺だったら舌噛んで死ぬだろうな…そう考えると、アイツの今回の自己犠牲って本当に貴重…と、丸井が合掌した後で、その場に妙な沈黙が流れた。
何となく…何を想像しているかは互いに確認しなくても分かってしまう。
(い、意外と似合いそうなんだよなぁ…ちょっと楽しみと言うか…)
何しろあの女顔だし…細身だし…性格も優しいし…
やばい、ちょっとヨコシマな期待を抱いてしまうかも…と皆が口に出せない事を心で呟いていると、突然、外の廊下の方から『ヒューッ!』と数人が口笛を吹く音と何かをはやしたてる賑やかな声が聞こえてきた。
『うっわー!! 生足ニーソだーっ!』
『おねーさん、何処の出し物に出るのっ!? 行くから教えて!』
『朝からイイモン見たーっ!!』
「っ…!!!!!!」
誰がその声の対象になっているかは一言もなかったが、聞いた瞬間ざーっと全員の顔から血の気が引いてゆく音が聞こえ、一番ドアの近くにいた柳生が、すぱーんっ!!とそれを勢いよく開け放った。
「あ…っ」
そこに立っていた人物と、目が合う。
そしてついでに相手の姿も目に入る。
長い黒髪のツインテールに白カチューシャ、きめ細かい肌が一層映える黒の膝上スカートに白エプロン。
足には同じく白のニーソックスと黒パンプス以外は何も身につけていない…先程の聞こえてきた声の主が言った通り、覗く太腿は生足というやつだ。
そんな見事なメイド姿の女性が、少しばかり潤んだ瞳でこちらを向いて立っていた。
相手もどうやら柳生より少し遅れたもののここへ入ろうと思い、ドアの前まで来たところだったらしいが、その周囲を他の部の男子生徒達が囲みつつあった。
いや…一つ…訂正しなければなるまい。
思わずその姿と容貌から女性と言ってしまったが……よく見たらこの顔立ちは…!
「や、ぎゅうせんぱい…っ」
「失礼っ、ウチの従業員です!!」
うるっと更に目を潤ませた相手が自分を呼ぶと同時に、柳生は断りながら光の勢いでその腕を引っ掴み、自分達のスペースへ入れると同時に再び入口を閉めていた。
紳士は常に冷静沈着であるべし…しかし、先程からどうしても抑えきれない動悸が…!!
「え…は、桜咲か…?」
「いいい!!??」
ジャッカルと丸井の驚愕の声が中で響いたが、最早疑いようがない。
確かに髪型や服装はいつもと異なるが、彼女…彼は桜咲だった。
「お…お早うございます、皆さん…あのう…やっぱり、何処かヘン、ですか…?」
ヘン…と言えばヘンかもしれない…しかしそのヘンという言葉の真意は…
(男なのに、どーしてここまでメイド服が似合うんだ〜〜〜〜〜っ!!??)
という、ヒジョーにビミョーなものだった…勿論本人の前で面と向かって言える台詞ではない。
「ヘン…じゃないけど…困ったな、どう表現していいのか分からないよ」
「お、女らしいというのは、寧ろ本人にとっては侮辱に当たるかもしれんしな…」
幸村はしっかりと相手を直視しながらの意見だったが、傍の真田はしっかりと視線を逸らしている。
それは相手が見苦しいから…ではなく…色々とあるのだろう、色々と。
「いやしかし…本当に女にしか見えないぞ」
「髪はウィッグだよな、化粧とかもしてないだろい?」
「あ、はい…ち、ちょっと唇にグロスだけ塗りましたけど…」
ジャッカル達が素直な感想を述べている間に、参謀の柳は無言で自分のノートにすらすらと今日の売り上げについて大幅な上方修正を行っている。
正直、実際に見るまで甘い予想は危険だと各要素から排斥していたが…この子、もしやしたら主戦力に化けるかもしれない。
「驚きました…隣の厨房になる予定の部屋を借りて、着替えてからここに来ようと思ったんですが…いきなり囲まれてしまって」
柳生の機転ですぐに保護された桜乃は、はふぅと溜息をついてようやく人心地がついた様だった。
「まぁ、お前さんの今の格好を見りゃあ、健全な男子なら寄らずにはおれんじゃろ。どうじゃ? 女装した今の気分は?」
「…うーん」
最初の台詞は本心で、後の台詞はあくまで冷やかしというかからかいの意味を含んでの仁王の言葉だったが、対する後輩は意外に真面目に考え込んで答えた。
「折角の秋でしたから、紅葉色のスカートでも良かったかもですねー」
「…雅治お兄ちゃんの予想しとった答えと違うから、面白くなーい」
てっきり恥ずかしがったり怒ったりするかと思ったのに…と、しょぼん、と肩を落とす詐欺師に、やれやれ、と柳生が眼鏡を押し上げつつ忠告する。
「そんな冗談を言っている場合ではありませんよ。イロモノになる可能性はほぼゼロになりはしましたが、これはそれ以上に深刻な事態です」
「え…?」
何が…?と桜乃は無邪気に首を傾げて尋ねたが、疑問に思っているのは彼女だけの様で、他の男性陣は皆、柳生が何を危機として捉えているか既に分かっている様子だった。
「…あー、その…ふ、風紀的な問題として、だな…あまり女性に見えすぎても、色々と困るということだ。犯罪を助長する恐れがある」
「? はぁ」
真田の苦しい弁明を聞いても、今ひとつよく分かっていないらしい天然後輩は、相変わらずきょとーんとしていたが、代わりに切原がじゃあ、と口を挟んだ。
「首からプラカードぶら下げてたらどうッスか? 『本当は男です』って書いて」
「弦一郎、ちょっと黙らせといて」
そもそもの迷惑の発端となった若者の、更に場を読まない発言に対して部長が即刻制裁発言を飛ばし、相手は文句なく実行に移った。
『やはり貴様が女装しろ! 女装してプラカード下げて学校中を練り歩け!! 骨はそのままオホーツクに沈めてやるーっ!!』
『ぎゃあああああああっ!!』
「…何故にオホーツク」
「死んでも楽にさせるつもりないんだろ」
向こうの修羅場を背にしながら、ジャッカルと丸井があーあと諦め顔で言う一方では、無情な二年の後輩の一言でめそめそと嘆いている桜乃を、ぽん、と仁王が肩を叩いて慰めていた。
もしここまで傷ついているヤツに更に嘘で追い討ちをかけるなら、そいつは詐欺師ではない、鬼だ。
そして場は再び桜乃の処遇についてに戻る。
「…元々、ウチのテニス部は例年来る客も多いから、口コミを見込んで呼び込みはあまりしない方針だったし、やったとしてもそれは俺達がローテーションで廻れば事足りる。兎に角、桜咲は呼び込みはしない方向でいこう」
「え…いいんですか? てっきりそういうのをやるのだとばかり…」
桜乃本人は意外な方針転換に驚いていたが、誰一人異論は唱えなかった。
「いいんじゃねい? イロモノで責めたい場合は、あからさまな女装で人目を引くのも手だけどさぁ、やっぱ本格的な執事喫茶ならジェントルメ〜ンって感じでいきたいじゃん」
「当然です」
丸井に元祖(?)紳士が力強く頷いて賛同し、続けて仁王がへっと軽く肩を竦めた。
「お前さんが呼び込みしたら、完璧に女の子と間違われるじゃろ。騙された男共が来て『ナニここメイド喫茶じゃねぇの? この詐欺師!』で終わりじゃよ」
「合ってるじゃないですか…」
それはそれで…と突っ込んだ桜乃だが、確かに仁王達の意見も分かる気はする。
今回の出し物はあくまでメインは執事! 女装メイドではないのだ。
「じゃあ、何をしましょう。料理は得意ですが、裏に回ったら敵前逃亡って思われるかもですし」
「そうだな…やっぱウェイトレスが無難なトコロじゃねい?」
丸井の提案は当然出てくるべきものであり、真っ当な意見とも言えた。
「どぉ? 柳。盆持って、注文とって品物運ぶぐらいなら桜咲にもやらせていいだろい?」
「ふぅむ」
至極簡単な案件であったにも関わらず、その時柳は顎に手を当て、暫し数秒の間黙考した。
微かに眉がひそめられている様に見えるのは気のせいか…
「…どうかした?」
「…いや、それも一つのデモンストレーションとしてはいいかもしれない」
「デモ?…まぁ、確かにコスプレはそう言えるかもしれないけどさ…」
丸井が何となく納得している間に、柳が真田へと向き直って軽く人差し指で相手と桜乃を交互に示す。
「すまないが、弦一郎。桜咲に簡単な接客の仕方と、メニューの見方、テーブルの番号について教えてやってくれないか。それと、店が開いた後でも、お前が彼をフォローしてやってくれ」
「む、俺か? 指導というのなら、お前の方が適任という気もするが…」
「いや、俺では少々インパクトに欠ける可能性が高いからな…頼む」
「?…まぁ構わんが」
何がどうしてインパクトなのか…と思いつつも、一応出来ない願い事でもなかったので、真田は特に反対することもなく引き受けた。
扱いが難しい後輩であれば、間違いなく多忙になる今日のイベント、相手するのは困難の極みだっただろうが、桜咲であれば心配要らないだろう。
そんな楽観的且つ希望的観測に則った判断だった。
それは、確かに間違いではなかったのだ…「桜咲」個人の性格に問題はないという点については…
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