「はくしょん!」
「あ、大丈夫? 弦一郎」
「うむ…すまんな」
 妹に秘密にしていた事実が彼女自身の手によって暴かれていた正にその時、それを知らせるように真田は激しいくしゃみをしていた。
「ここの空調とか設備管理は抜群にいいけど、油断したらダメだよ」
「ああ、問題ない…ゴミでも入ったのだろう」
 虫の知らせの真意には遂に気付くことはなく、真田はそれまで続けていた筋トレをキリがいいところで中断する。
 ここは今回彼らが揃って招待された高校日本代表候補の合宿所内に設けられているトレーニングルーム。
 他にも他校の生徒達が設置されている多数のマシンを用いて、彼らと同じくトレーニングに勤しんでいる。
 室内外含めると、ここにはかなりの数のコートがあるのだが、現在は高校生及び中学生の一部がローテーションを組んで使用している状態であり、現在ローテから外れている真田達は必然的にここで身体能力の向上を図っているのだ。
「しかし、色々とすげぇトコロだな、ここは…」
「まぁU−17のトップクラスが集められとるんじゃ…相応の設備が揃っとるのは有り難いが、俺としちゃ来た時の先輩方の歓迎の方が楽しかったのう…」
 同じくジャッカルや仁王が合宿所の印象について評すると、柳生が相棒の方へと顔を向けながら頷いた。
「あからさまな『歓迎』でしたからね…まぁその内『下』の方々にはすぐに静かにして頂きましたが」
「本当に実力が上の奴らは、最初から俺達に余計な関心も持っていないだろうから、逆に干渉がないだけ有り難いがな……面白半分の野次は百パーセントあって然るべきものと分かっていた分、黙らせるのも容易かった」
 小休止に入りながらペットボトルの水を口に含んだ後、柳が高校生についてさらりと語る。
 年齢だけで自分達が上に立っているのだと勘違いしている『先輩』など、何処の世界にもいるものだ。
 実力も伴っていないのに、先輩風ばかりを吹かせる輩の為に潰す時間などない。
『……馬鹿め』
 下ばかりを眺めて何が楽しいのか、と問うような幸村の一言が、立海メンバーの心の声を代弁していた。
 そんな輩に用はない、寧ろ自分達にとっては害悪になるだけだ。
 ボール一つで無駄な『先輩』が一人消えてくれるなら願ってもない、消えてもらおう。
 そう思っていたのは立海の面子だけではなく、氷帝の帝王も同じ信念の許、真田と同様の行為に及んだのだった。
 彼ら二人の活躍で、少なくとも二十人以上の脱落者が生じた筈だ。
 その件もあり、かなりの数の『先輩方』にはご退場頂き、そして今に至る。
「けど、実力もある『先輩』達もそれなりにいそうだし…今は結構楽しみだけどね」
 ふふ、と部長が笑って締め括ったところで、ジャッカルがさっきからずっと沈黙を守っている丸井達に視線を向けた。
「どうした? 丸井、切原も。随分今日は大人しいじゃないか」
「…なーんかテニスに熱中出来るのはいいけど、色気に欠けるっつーかさ…毎日毎日ムサい高校生の皆様をみていたら、俺の青春なんなんだって…」
「真田副部長はイイっすよね、ここだと多少は若返って見え…」

 がすっ!!

(切原は本当に何とかならないのかな、あのマゾ気質…)
 全てを言い終える前に、早速真田から鉄拳制裁を受けてしまった後輩を眺めながら、幸村がくぴっとミネラルウォーターを口に含む。
 その一方では、仁王や柳生が丸井に正直な感想を述べていた。
「色気より食い気で生きとるクセに…」
「アナタ方、ここに何しに来たんですか…」
「だってよ〜い…野郎ばっかじゃつまんねーもん…やっぱ時には健全な青少年らしく、色気と食い気が揃った女神様に会いたいよい」
 そこまで言って丸井はくるっと振り向くと、切原に絶賛構い中の真田に無邪気に声を掛けた。
「って訳で真田、愛しのおさげちゃんはいつ来るの? 美味しい差し入れ持って」
「お前も制裁希望者か丸井…」
 話を振られた副部長は、切原への制裁を終えたまま丸井に殺気を帯びた視線を向けた。
 まぁ、いずれ振られる話だとは分かってはいた…寧ろ、今まで話題に上らなかった方が奇跡かもしれない。
 どの道、むかつくコトに変わりはないが。
 そんな兄の不機嫌も他所に、丸井は楽しそうに続けた。
「だってどうせ来るんだろい? おさげちゃん、お前にべったりだしさー。優しいから俺達の応援にも来てくれたり…来てくれたら天才的妙技、思う存分見せてやるんだけどなっ!」
 丸井の期待一杯の台詞に、しかし返された返事は無情だった。
「来ぬわ馬鹿者」
「…え?」
「どれだけ待っても桜乃は来んぞ、合宿中は面会は不可と伝えてきたからな。今頃はしっかりと俺の分まで家を守ってくれている筈だ」

『……………』

 沈黙したのは丸井のみに非ず。
 真田以外の全員が一斉に口を閉ざしたかと思うと、続けてぐるっと背中を向けて携帯を取り出し…
 かちかちかちかちかちかちかちかち…っ!!
 全員揃って物凄い速さでメールを打ち始めた。
「やめんかお前ら―――――――――っ!!」
 何処にどういう内容のメールを打っているかは、見ずとも分かる。
「あ“〜〜〜〜っ!! 着信拒否されたーっ!!」
 一番最初に送信したらしい切原が、しかし悲鳴を上げて現実を伝えると、他の男達もほぼ同様の結果だったらしく、一様に渋い表情を浮かべる。
 唯一、真田一人がほっとした顔をして種明かし。
「お前らのメルアドは、既にアイツの携帯に着信拒否するよう登録しておいた」
「きったね〜〜〜!!!」
 訴える丸井の陰で、仁王がちっと小さく舌打ち。
「電子機器の扱いには慣れとらん筈のヤツじゃったのに…」
「愛の為せる業ですね…かなり偏ってはいますが」
 その通り。
 一度はメールについては見逃すしかないと思っていた真田だったが、やはり心配になり、棚の奥にしまっていた携帯の説明書を引っ張り出したところ、彼はそこで任意の番号も着信拒否が出来る事実を初めて知ったのだった。
 幸い、自分の携帯と桜乃の携帯は機種は違えど会社は同じ。
 システムもほぼ同じだった為、真田は珍しく機器の取り扱い説明書を何度も繰り返し読み、方法を頭の中に叩き込むと、そのまま桜乃の携帯で自分以外のメンバー全員の携帯メルアドを着信拒否にしてしまったのだった。
 当然、就寝中にそれを実行されてしまった桜乃本人はこの事実を知らない。
「これって下手すりゃ犯罪なんじゃ…」
「聞こえんな」
 訴えるジャッカルの視線を、厳しい兄がしっかりと背中で弾き返したが、そこに負けじと丸井が取り縋る。
「うわーんっ!! ひでえじゃんか真田―っ!! おさげちゃんっていうオアシスも無しだなんて、お前は俺にこの東京砂漠で死ねって言う気か―――っ!?」
「いっそ死んでくれと思うのは俺のエゴなのか…?」
 ひくひくと顔を引きつらせながら真田が答えると、そこに幸村が口を挟んでくる。
 彼もまた、小学生の頃から桜乃と面識があり、彼女の事を非常に気に入っている一人なのだ。
「でも、今回のはやり過ぎじゃない? まるで俺達を性犯罪者並に警戒してくれて…」
 ふふふ…と笑ってはいるものの、その笑顔には不気味な陰が差している。
(おお、久し振りに暗黒面が…)
 彼もまた、桜乃がここに来てくれることを期待していた確率百パーセント…と柳が冷静に分析している前で、真田は相手に押されながらも必死に抵抗を試みた。
「やっ、やむをえまいっ!! お前らだけならまだしもここにアイツが来たらっ…」
 どもりながらも妹を守る為に必死に真田が答えていたところ、丁度トレーニングルームに新たな客人達が現れた。
「よーっし、白石、どっちが回数多いか競争やーっ!」
「金ちゃんは相変わらず元気やなぁ」
 大阪から来ている四天宝寺の面々がルームを訪れ、立海の面子とは少し離れている空いたマシーンへと移動してくる。
 どうやら別所でのトレーニングを終えて来たらしく、彼らの身体は既に汗で濡れていた。
「あらイヤん。デオドラントしとかなくっちゃ」
「やめぇや小春〜、女臭いスプレーしゅーしゅーしゅーしゅー、臭いんや!」
 鼻が曲がる!と訴える遠山に、金時は心外だとばかりに訴えた…勿論、本物の女顔負けのシナを作りながら。
「あらヒドイ、でも金ちゃんはまだ女の魅力が分からないお子ちゃまだし仕方ないかしら」
「なに〜っ!? ワイはお子ちゃまとちゃうねんで!?」
「女の子を押し倒したコトあるの?」
「やったろやないけーっ!!」
「小春――――っ!! 金ちゃんを汚すなや!!」
 賑やかなことこの上ない…ついでにいかがわしさもこの上ない。

『…………・・』

 聞いていた立海メンバーが、一時真田への糾弾すら止めて相手方の言葉に注目し、押し黙る。
 勿論四天宝寺の騒動は真田の耳にも届いており、彼は全身の産毛を逆立てながら震える声で訴えた。
「…あんな輩どもに俺の妹が晒され、好き勝手に弄られるかと思うと……っ!!」
「すまん、俺達が悪かった」
「確かに或る意味猛獣の檻ッスね…ココは」
 まぁまぁ、と真田を宥めながらジャッカルと切原がフォローに走る。
 向こうのやり取りはほぼ半分以上は冗談、と言うかおふざけに過ぎないのだろうが、聞いているこちらとしては危機感を覚えざるをえない。
 確かに今、ここの合宿所には自分達以外にも多数の学校の選手が揃っている、高校生に至っては、まだ人となりも分かっていない奴らが殆どだ。
 極端に私生活がだらしない奴らはいないだろうが、万一、あの無垢な少女が誰かと懇ろな仲になってしまったら…考えるだけで怖気が走る。
 正直、残念ではあるけどここにあの子がいなくて良かった…!!
「……こう言うたら何じゃが、他校の奴らも結構イケメンが揃っとるからのう…」
「大会の様に一日だけのお付き合いという訳でもありませんからね…」
 仁王と柳生の懸念も尤もな話で、真田に冷たい視線を浴びせていた幸村も、流石にそれを思うとそれ以上相手を責める事も出来なくなってしまった。
「そう言われたらそうだね…俺達にもやる事はあるし、ずっと見張っている訳にもいかないのか」
「青学、氷帝、比嘉、六角、四天宝寺…他の学校も含め中学生だけでも総勢五十人、高校生を含めると更に数は跳ね上がる…全員が彼女を狙うという可能性は勿論ゼロだが、母集団が大きくなるとそれだけ危険性が増していくのは間違いない。男子限定のこの場所に妙齢の女性一人が来たら、それだけで注目の的になるのは目に見えているからな」
 柳の冷静な指摘に、逆に丸井は顔色を青くした。
「……そー言えばそうだったい」
 つい、いつものノリと同じ様に桜乃の来訪を期待していたが、それは言い換えたら男ばかりのこの檻の中に彼女を引き込む事になるのだった。
 脳内で自分の寂しさと桜乃の身の安全を秤にかけて…秤は見事にがっくんと桜乃の方へと傾いた。
「ううっ…悔しいけど今回は我慢してやらぁ」
「泣くなって、一生会えない訳じゃないんだから」
 ぐっすん、と悲しむ相棒をジャッカルが慰めている一方で、幸村が何事かを考える様にじっと沈黙を守っている。
「どうしたんスか? 部長」
「いや…何か今…」
 ようやく終息しそうなその騒動の最後にあって、幸村は非常に不吉な言葉を呟いていた。
「……根拠はないけど、もうすぐ桜乃ちゃんに会える様な気がしたんだ」
 でも、まさかね…


 翌日…
「ふふふふふ…準備バッチリ!」
 早朝から、桜乃は自宅の台所で上機嫌な笑い声を漏らしていた。
 目の前のテーブルに並べられているのは数々のおかずを詰め込んだお弁当一式…と、無数のラッピングされたクッキー達。
 因みにクッキーは五枚ずつナプキンで包まれ、様々な色のリボンで結んで留められている。
 一包みは小さいものだが、その数はおよそ五十を下らない。
「えーと、お弁当は立海の皆さんで美味しく食べてもらって、クッキーの方は一緒に合宿している中学生の皆さんで分けてもらおうかな…お兄ちゃんと一緒に参加出来るって事はそれだけテニスが上手い人達なんだろうし…うん、おひねりおひねり」
 料理が一段落したところで、桜乃がぷんっと一人頬を膨らませる。
「本当に弦一郎お兄ちゃんったら、幾ら妹が邪魔になるからってそこまでこっそり秘密主義にならなくてもいいじゃない」
 おそらくその場に真田がいたら、『違う! 俺はお前の身の安全を思ってだな…!』と必死に説明したに違いない…果たせずに終わったが。
「部外者がいたら気が散るって言っても、ちゃんと大人しくしとくもん…どうせ私、普段から目立たないんだから」
 おそらくその場に真田がいたら、『違う! お前が来たら間違いなく一番の注目を…!』と狂った様に止めたに違いない…やはり果たせずに終わったが。
 そして彼女は料理した全ての品物を確認すると、そっと自身のおさげを留めていたゴムに手を伸ばしてそれを外した。
 右と左…二つとも。
 流れる長髪を軽く手で梳きながら、少女はうふ、と悪戯っぽく笑う。
(コートにお兄ちゃんがいたら、見つかって追い返されるかもしれないし、今日だけちょっぴり変装してこっと)
 変装と言っても怪しさ極まりない姿にはなれないので、せいぜい髪をおさげから編みこみにして、リボンを付けて…
 先ず遠目から見たら、先程のおさげの姿と今の姿、同一人物とは思えない程度には変装成功。
(仁王先輩が今度変装のやり方教えてあげるって言ってたけど、早く教えてもらってた方が良かったかなぁ…)
 かなり危険な事をあっさりと心で思っていた少女だったが、これはこれでよし、と気を取り直す。
 確かに、普段の姿とはかなり異なるそれになったものの、異性からの注目は明らかに今の方が引く!という事実に彼女は気付いていない。
 おそらくその場に真田がいたら、死んでも止めたに違いない…結局果たせずに終わったが。
 そんな兄孝行で兄不幸の娘は手早くぱぱぱっと弁当をバッグに入れて、おひねりクッキーも別の袋に詰め込んで…
「んー、ちょっと張り切って沢山作りすぎたかな…余ったら欲しい人に食べてもらおう」
 そして、手にはしっかりと合宿所の位置を記載していた紙を握り締める。
「今から出たら単純計算で午前中には到着するけど、多分一時間ぐらいは彷徨うと思うからなぁ…お昼までには着かなきゃ!」
 自身の性癖についても十分理解している様で、桜乃はかなり早めの時間帯に家を出た。
 そして、一路、兄が宿泊している合宿所を目指しての小さな冒険が始まったのだった。



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