ついてきてくれた仲間たちに詫びて、彼らがそろそろ学校に行こうというところで、白石はようやく部長らしさを少しだけ取り戻した。
「みんなも少なからず桜乃に接触したんやから、ちゃんとうがいと手洗いせんとあかんで。異常があったらすぐに受診するようにな」
「はは、やっと白石らしくなったな。じゃ、俺らはもう行くし、桜乃ちゃんお大事に」
「ああ」
 一氏の言葉に頷いて、白石は皆が病院を立ち去る姿を見送り、再びソファーに腰を下ろした。
「はぁ……入院か…確かに、他の患者さん足蹴にしてウチらだけのうのうと優先されるっちゅう訳にもいかんよな…」
 こんな心許無い状況に置かれてしまい、白石はつい愚痴にも似た台詞をぽろっと零す。
「その点、有名人とか芸能人とか、どっかの大金持ちのシャッチョさんとかはええよなぁ…コネも色々と持っとるやろうし絶対に一般人よりは優先して入院とかも出来そうやし…」
 残念ながら自分の様な一般人は、そんな御大層な身分の奴なんか知りもしないし、当てもないんやけど…と溜息をつきながらソファーの背もたれに身を預けたところで…
「…」
 心の中で、もう一人の自分が『待て』と待ったをかけた。
 今、自分が零した愚痴の中に、訂正すべき箇所があった様な気がしたのだ。
 本当か?
 本当に、今自分が思ったままの実情でしかないか?
 お前はもしかして、何か重要な事実を忘れて、それを利用する手段を選択し損ねていないか?
「…んん?」
 おかしいな…と思いつつ、上体を前に倒し、腕を組みながら白石は考えた。
 自分達が一般人だということは、これはもう誰が見ても明らかだし疑うべくもないだろう。
 有名人や芸能人の知り合いというのも違う…家にはそんな奴らのサイン色紙とかも置いてない。
 どっかの金持ちのシャッチョさん…も別に知り合いではないし…ん?
(…社長にこだわる必要はなかったな、そう言えば)
 社長だろうと会長だろうと、金銭面や社会的地位で重要なポストを占める人物なら、条件には合致するのだ。
 己から判断基準を狭めていた事実に気づいた白石は、それから改めて新たな基準を基に考える。
(えーと、つまり…年齢、地位に関係なく、金があって、目立っていて、周囲への影響力がハンパやない奴…か…)
 そんな物凄そうなヤツいてたかな〜と、ゆっくり知己の顔を回想していた白石が、四天宝寺という学校の枠を飛び越えて他校へと至った時…
「…」
 自然と視線が床に落ちてゆくと同時に、ざーっと血の気が引いていった。
 しかしそれは奇妙な事には条件に合致する人物がやはりいなかったから、という理由ではなく、寧ろ見つかった…見つけてしまったが故の反応だった。
 いる!!
 約一名、思い出したくないが、確かに条件に合致しまくっている奴が!!
(し、しかし〜〜〜〜!!)
 うう〜〜とその若者は頭を抱えて唸り、俯いた。
「大丈夫かいアンちゃん。先生呼ぶか?」
 病院に受診に来ていたらしい、隣の白髪の男性が声を掛けてきたが、白石はふるふると首を横に振って断った。
「す、すんまへん、大丈夫です…」
 自分が病に伏して倒れていたのなら、きっとこんなに悩む必要はなかった。
 しかし、今入院すべきと判断されているのは自分ではなく、大切な妹の桜乃なのだ。
 ここで単純に考えたら、『コネ使える知り合いがいるなら、とっとと使ったらいいじゃない』というのが普通の判断。
 それは白石も十分に理解出来ている。
 それでいて尚、判断しかねているのは他でもない、そのコネを使えるであろう人物に問題があるからだ。
 悪人ではない。
 悪い意味での非常識とも違う。
 世間の常識と若干異なった価値観を有してはいるが、それにはまぁ目を瞑ろう。
 只、最も懸念している問題というのが…
(下手にウチの桜乃と接触する様なコトがあれば、それも大事なんよな〜〜〜!)
 アイツは自分の妹と既に知己であり、しかも某友人の所為で彼女の理想の相手の一人と看做されてしまっている!
 前回東京で会った時も、お互いにまんざらではなかったような雰囲気だし…今は地理的に離れている事もあって落ち着いてはいるが、二人がこれでまた接近することになったら、それはそれで問題だ。
(うう〜〜……)
 本当はあまり関わらせたくない…しかし、今もあの部屋のベッドの上で、妹は病に苦しんでいる。
 家に連れ帰り、一抹の不安でもそれを抱いて看病するか…それとも、完璧に設備の整った病室で、医療スタッフが傍にいる状態で万全の対策を立てるか…
 それを選択する上で関わるのは、自身の感情と妹の身の安全。
 白石は…妹の身を選んだ。
(くっ……これも桜乃の為や)
「おいアンちゃん、本当に大丈夫か? 顔色真っ青やぞ」
「すんまへん…大丈夫…やとええですけど」
 ぐすん、と涙を呑みながら、白石はよろりら…とよろけつつ、携帯を手に病院の外へと出た。
 院内は携帯使用禁止、マナーはきっちり守るのが彼の信条でもある。
 激しく乗り気じゃなさそうな顔で、白石は携帯を開き、とある人物の連絡先を電話帳から呼び出し、いよいよ発信ボタンを押した…



 同時刻の場所は変わって東京都内…
「ではこれより、都内主要中学のテニス部で執り行う練習試合の日程について検討を行う」
 氷帝学園内来賓室は、その日、夏休み期間中でありながらも賑やかだった。
 都内の各校男子テニス部の部長達が、招集を受ける形で集合し、全員がテーブルを前に着席しながらその一端側へと注目していたのだ。
 その上座に位置する席に座っていたのは、他でもない招集をかけた本人であり、この氷帝学園の生徒会長、テニス部部長である跡部景吾。
 この氷帝学園に入学した当初より、比類なきカリスマ性を持って学園を統治している若者だ。
「急に招集を掛けられたから驚いたけど…こういう企画なら歓迎だね」
 いきなり有無を言わさずに集められたにも関わらず、穏やかな笑みでそう言っているのは、王者立海のテニス部部長である幸村精市だった。
 その隣に座っていた青学の部長、手塚国光も、腕を組んだ姿のまま幸村の意見に同調した。
「そうだな。貴重な時間を最大限に利用出来るし、何より他校との試合は部員達へも良い刺激になる」
「おんなじ顔だと、やっぱり少し慣れが出てきますからね。それに練習試合ともなれば、会場に女の子達も来てくれるかもしれないし」
「あまり浮ついたことを言うなよ、葵。佐伯達に叱られるぞ」
 隣で楽観的な意見を述べた六角の部長を、不動峰の橘がやれやれと苦笑しながら嗜めたところで、跡部が再びイニシアチブを取る形で発言した。
「土日は基本休日の学校が殆どだが、各校でそれぞれの行事を行う日もあるだろう。夏休み明け以降の年間行事の予定表は予め各校から取り寄せておいたから、それらを基に、偏りが出ないように公平に決めていきたい。全員の希望を完璧に聞く事は難しいが、何か意見があれば遠慮なく発言してくれ…ん?」
 不意に、台詞が終わったところで跡部が己の胸元に目をやった。
「? どうした、跡部」
「いや、何でもない、携帯だ」
 胸の内ポケットから自分のそれを取り出した座長は、軽く手を挙げて皆に指示を出す。
「すぐ終わる。それまで全員で希望について考えるなりしておいてくれ」
「分かりました」
 素直な葵の発言の後、他の部長達も各々に配られていた予定表に注目し、内容を確認していく。
「こうして見ると、回数はそれ程多くはないな」
「試合ばかりするのが最良って訳でもないだろうし、手の内を全て見せてくれるっていう期待も出来ないじゃない? 全国規模での練習試合も面白そうだけど、やっぱり地理的問題がねぇ」
 橘と千石が珍しく真面目な会話をしている一方、跡部は部屋の隅へと移動して、携帯の向こうにいるだろう相手に声を掛けていた。
「もしも…」
『跡部っ!! 俺や!!』
「……」
 こちらの呼びかけを全て聞く前に怒鳴るような大声で話しかけてきた相手に、跡部は反射的に携帯を耳から離して、じっとそれを凝視した。
「…?」
 その時、何気なく跡部の様子に注目していた幸村が、ん…と首を傾げる。
 位置的に幸村が彼に最も近い場所にいて、声を聞き取りやすかったというのも、意識を向けた理由の一つかもしれない。
 兎に角。
 一度は携帯を離した跡部は、幸村が見ている前で改めてそれを耳元に持って行ったが、何となくその表情が辟易したそれに変わってしまっている様にも見える。
 下らない相手なら速攻で容赦なく回線を切るぐらいするだろう帝王だが、何か事情があるのだろうか?
 一時、部長達の方への注意を逸らして跡部の会話に耳を傾けた幸村の前で、跡部は携帯の向こうの人物に呼びかけていた。
「何だ、誰かと思ったら『くうちゃん』じゃねぇか」
『誰がくうちゃんやっ!!』
 くっくっと笑みを含んでの呼びかけに、即座に反応が返ってくる。
 やはり間違いない、相手は四天宝寺のテニス部部長だ。
 しかし、都内の部長を集めている最中に彼から電話が入ってくるというのもおかしな話だ。
 まさか、今回の都内に限った練習試合の打ち合わせを嗅ぎつけた訳じゃないだろうな…と思っていた跡部の耳に、白石の真剣そのものの台詞が飛び込んできた。
『俺をくうちゃんと呼んでええのは、この世で桜乃一人だけや』
 そして今度こそ、跡部の表情が苦虫を噛み潰したそれに変わる。
「……言っていいか」
『あ?』
「…キモい」
『ほっとけー!!』
 そんな会話か漫才かよく分からないやり取りを続けていた跡部を、いつの間にか幸村は最初よりも遙かに意識を集中した状態で見つめていた。
 無論、意識と共に聴覚もフル活用して、向こうの会話の内容を聞き取ろうと躍起になっている。
(くうちゃん…って事は、もしかして相手は白石…)
 白石が『くうちゃん』と…正しくは『くう兄ちゃん』と妹から呼ばれている事実を知っているのは、この来賓室の中では跡部と幸村のみである。
 その他氷帝と立海のレギュラー達も知ってはいるのだが、生憎彼らは今ここには同席してはいない。
(珍しいな…一体何の用だろう…)
 思う幸村の脳裏に、白石と四天宝寺のレギュラーメンバー達の他に、一人の少女の姿が浮かぶ。
 それは紛れもない、白石の妹である桜乃のものだった。
 実は、先日の全国大会の折、彼は跡部と一緒に迷子になっていた桜乃を保護したという経緯があり、その時にレギュラー達も彼女と見知った仲になったのだ。
 彼らとは別に、幸村には桜乃とはもう一つ別のささやかな因縁がある。
 跡部と同じく、心理テストではあるものの彼女の理想の男性と看做されたという事実が。
 普通なら、その程度の話は幸村でなくとも特に何を思うでもなくスルーするだろう。
 占いやまじないに夢中になる女性の四方山話など、この世には掃いて捨てる程にあるのだから。
 しかし幸村は実際に桜乃本人と出会い、彼女と語り合うことでその人となりを見つめ、相手の事を気に入ってしまっていた。
 それもあって、彼は理想の人の候補止まりではあるもののそれを幸いに桜乃との縁を繋ごうと、彼女の厳しい兄の目をかい潜ってメルアドを相手に伝えていた。
 知り合って間もない時期なので、交わしたメールもまだ一、二通のみ。
 内容もごく普通の友人止まりのものばかりだが、幸村にとっては楽しい行事だった。
(こないだ大会で別れて、あまり経ってないけど…元気にしているかな、桜乃ちゃん)
 そんな事を彼が考えている間にも、当然跡部は白石と電波を通じて会話のやり取りをしていた。
「で? わざわざ関西にいるお前が、俺様に何の用…」
『跡部!! お前のつてでどっか今すぐに入院出来る関西の病院知らんか!? 急ぐんや!』
「病院?」
『急病人が出たんや!! 連れてった病院では、ベッドが一杯で入られへんて…一度帰宅するよう言われたんやけど…』
「だったらその病院で別の場所探してもらえばいいだろうが…入院が必要だとプロの医師が判断したなら、何とか場所は探してもらえるだろう。必要ないと判断されたなら、それはそういう事だ。家に戻して看病するんだな」
 つれない返答だったが、それは跡部の意地悪ではない。
 不安にかられる患者やその友人、家族の気持ちは分からないでもないが、全員の希望を聞いて皆を入院させてしまっていたら、すぐに医療の現場は大混乱に陥るだろう。
 白石の台詞から、危急ではない症例と判断した跡部の彼なりの采配だった。
 もし病人が白石本人だったなら、彼はそこで大人しく引き下がった…いや、そもそもこんな我侭を跡部に電話まで掛けて言いはしなかったのだろうが…
『だ…』
「…だ?」
 直後、携帯のスピーカーから部屋中に轟く叫びが響き渡った。

『だって桜乃が高熱出して倒れて唸っとるんやもん!! インフルエンザからまた別のヘンな病気になってもうたら大変やんか、桜乃が死んだら俺が自分の枕元に立ったるからな―――――――――っ!!!』

「うわっ!!」
「な、何だぁ!?」
 他の何も知らない各校の部長達が、いきなり響いた大音声に驚いている一方で、跡部は見事な反射神経で携帯を遠ざけ、あーあとあからさまに眉をひそめていた。
「病に伏してんのは妹なのに、何でテメーが枕元に立つんだ…ったく」
(桜乃ちゃんが、病気…!?)
 がたんっと激しい音をたてて幸村が立ち上がり、跡部の方へと厳しい視線を向ける。
「幸村…?」
 隣の手塚が声を掛けたが、それに反応する余裕も見せずに彼は帝王へと注目し、その視線の熱を受けながら跡部は少しだけ何かを考えた後、首を縦に振っていた。
「…しょうがねぇな…おい、樺地!」
「ウス」
 跡部にとっての四次元ポケットとも言える後輩を呼びつけると、彼はてきぱきと相手に命令を下していった。
「すぐにウチの執事に連絡を取って、跡部家専用に抑えている病室を一室、使えるように準備しろ。幸い俺の母親は当分日本にはいないから、その分の空きがある筈だ。それと同時に対応する医療チームを作成、これは全員女性であることが条件だ。俺が今から搬送の指示を出すから、患者が現地に到着するまでに間に合わせろ」
「ウス」
 すぐに樺地が行動に移ったのを確認してから、跡部は再び携帯を耳に押し当てる。
 流石にこの時には、もう向こうの絶叫は止んでいた。
「…いいだろう、お前の妹は見るからに華奢で虚弱そうだったからな、特例措置だ。今いる病院を教えたらすぐに迎えを寄越す」
『おおきにな!! 恩に着るわ!……あ、それと一つ別に頼みがあるんやけど』
「あん?」
 取り敢えず妹を入院させられると分かった事で白石は落ち着いた様子だったが、彼はそれとは別に跡部に一つの願い事を申し出た。
『この事、立海の幸村にはくれぐれも内緒に頼むわ。もし知られたら、間違いなく桜乃にお見舞い攻勢掛けまくるやろうから』
「……まぁな」
 既に後ろでスケジュール帳を確認しているからな…当の本人が。
 ここまで知られてしまったら、もう全てが手遅れだ。
(…なんて事を教えたら、また向こうが騒がしくなるからな…今は黙っておくか)
 自分の所為ではないのだし…と結論付け、跡部はそこでは敢えて何も言わず、白石から彼らがいる病院の名前を聞き出し、電話を切った。
 そしてその数分後には、桜乃を然るべき医療機関に入院させるべく、跡部の差し向けたスタッフ達が現場へと到着していた……






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