「…ん?」
見ていると、時折彼の右手が奇妙に動いている。
(何やってるんだろう…)
少しだけ場所移動して、彼の後ろ斜めから覗ける位置に移り、再び観察再開…
(うっわ〜〜、一時間目から何でお菓子頬張ってるんだろ…)
よーく見ると、机の中に置いてあったスナック菓子の袋の中から、一個ずつ中身を取り出しては、ひょいっと口の中に入れている。
しかも、絶妙なタイミングで、説明をしている教師の目を盗み、相手が黒板に向かっている一瞬の隙を突く形で行動に及んでいるのだ。
その状況把握、条件反射はかなりのレベルだ。
(…テニスで培ったんだか、食い意地で培ったんだか知らないけど、まぁ凄い事は分かるわね…にしても、あれだけ食べててよく太らないもんだわ…)
それからも朋香はず〜〜〜っと相手の手がいつ止まるのかと見つめていたのだが…
「…うぷ」
流石に長時間見ていると、今度は自分が胸焼けを起こしそうになり、彼女は仕方なくその場を撤退した。
「丸井ブン太…取り敢えずテニスで現在の体格を維持している大食漢…しかも甘党。授業の合間に食べているお菓子の量より換算すると摂取カロリーは……まぁ女性から嫌われるのは間違いナシ、と」
またも凄い書き込みをして、更に移動していたところで丁度一時限目が終了し、廊下にどわっと生徒達が溢れてくる。
(やばっ…ちょっとここは控えめに姿を隠していた方がいいかもね…)
馴染みの棟に全く知らない女子がいると、どういう興味をもたれるか分からない。
下手に転校生と思われて騒がれるのも嫌だし…と、朋香はその場を一時撤退して、次の偵察に備えることにした。
「一時退却〜〜」
こそこそこそ…と廊下を目立たない様に隅っこを小走りで渡っていた時、その曲がり角の処で、朋香は誰かにどんっと軽くぶつかってしまった。
「きゃ…す、すみません」
「おっとと…いや、こっちこそすまん」
最初に謝り、それから上を見上げた朋香の顔が瞬時に強張った。
(あーっ!! あの苦労人の人!!)
「…今、物凄く微妙な目をしなかったか?」
目は口程に物を言い…
朋香の視線に何らかの意図を感じ取ったのか、相手が…ジャッカルが訝る様な顔でこちらを眺め降ろしていた。
「いい、いえっ、何でもアリマセン!!」
「そうか…? まぁ別にいいが…怪我はないな?」
「はい!」
どうやら、彼は自分の顔を知らない…会場で見ていたとしても覚えていない様だ、助かった…!
それにしても彼は、最初の二人と比べたら随分と『普通』の対応で、まるで一般人の様に見えてしまう。
(いや、確かに一般人の部類には入るんだろうけど…立海って凄い曲者ばかりいるようなイメージだから、今ひとつピンと来ないなぁ…)
何れにしろ、ここはこのまま誤魔化して行き過ぎてしまおう…と、朋香は軽く礼をした。
「すみませんでした! 失礼しますっ!!」
「ん、ああ…」
まさか相手が自分たちを偵察に来た女性だとは知る由もなく、ジャッカルはそのまま彼女を見送っていたのだが、その少し後に今度は自分の背後から声が掛かった。
「ジャッカル? どうした?」
「おう、柳か。いや、ちょっとぶつかってな」
「そうか…」
少し離れた場所にはいたが、まだ向こうの声が聞こえる位置にいた朋香は、ぞーっと背筋が寒くなるのを感じていた。
(きっ…危機一髪〜〜〜!!)
他のメンバーはどうだかは知らないが、あのデータマンの乾先輩と張る立海の参謀相手では、先ず間違いなく、自分について正体を看破されてしまう可能性が高い!
顔を見られる前で本当に良かった〜〜!と思いつつ、早足でその場を立ち去る朋香の後姿を、ジャッカルはくい、と親指で示していた。
「ほら、あの子…」
「…成る程」
ほう、と頷いた参謀に、見知らぬ少女の後姿を示したジャッカルは一転して渋い表情で、相手に切り出した。
「ところで柳…お前、今持ち合わせあるか?」
「………またたかられたのか…」
暫しの沈黙の後、概ね間違いない予測を立てた参謀が眉を顰める。
たかった奴らは大体想像がつく…と武士の情なのか名前までは出さないでくれた仲間に、ジャッカルはぺしっと両手を合わせて拝む仕草をした。
「スマン、良かったらちょっと貸してくれ。昼食代が…」
「それは構わんが…いい加減、厳しくすることも覚えろ」
「理解することと実践することは違うんだな、これが…」
そんな二人の視界から消えたところで、朋香はほーっと息を吐き出し、そしてメモを律儀に書き込んだ。
「ジャッカル桑原…多分能力的には凄いものを持っているんだろうけど、アクが強すぎるキャラばかりのレギュラーメンバーの中にいるから、自然淘汰されちゃってる感じ。試合前に精神的トラップを仕掛けたら、真っ先に倒れそうなので、狙い目…と」
二時間目は、別のメンバーは他の教室、或いは実技の関係だったのか確認する事が出来ず、新たな収穫のないままに昼食時間を迎えていた。
「うーん…結局午前中集められた情報はこれだけかぁ…まぁ本番は部活動になるんだけど…」
朋香は着ている制服を隠れ蓑にして、学食のパンを購入して近くの庭園でジュースと一緒に食べている。
かなり最初に感じていた緊張感もとれ、今はもう普通の校内の生徒の様に振舞えていた。
「…それにしても、あれはダメだわ、うん」
午前中の経験を思い返し、朋香は思い切り口に出してダメ出しをする。
「あんな奴らに桜乃を任せてなんかおけないわよ、やっぱり。何であんなアッパラパー集団について行ったのかしら…あの子の考えている事って、たまに分からないのよね〜。リョーマ様が好きなのかもって疑った事もあったけど、結局それも違ったみたいだし…」
あんな男子達に夢中になるぐらいなら、リョーマ様にゾッコンになってもおかしくないのに…と漠然と考えながら朋香がサンドウィッチをぱく、と齧った時だった。
『おう、竜崎じゃ』
『今日はこちらで昼食ですか?』
聞きなれない男達の言葉だったが、その中に含まれていた苗字は自分にとって馴染み深いものであり、朋香は思わず辺りを見回した。
今座っている傍にある茂みの向こうからだ…と、こそっと伸び上がって向こうの様子を窺うと、芝生の上に座り込み、お弁当を開いている少女がいる。
久し振りに見る、親友の姿だった。
見慣れていた青学の制服ではない…今の自分と同じ立海の制服姿。
(桜乃だ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
本当に久し振りの再会だったが、勿論偵察中である以上こちらの姿を明かす訳にもいかず、朋香は内心で感動しながら相手の様子を見つめていた。
今日はこの格好だから、彼女と面と向かって話せる機会がないことは分かっていたが、やはり久し振りに顔を見られたのは嬉しい。
(うわー、制服が違うと別人に見える…でも良かった、元気そうじゃん)
よかったよかったと思っている朋香の視界で、桜乃はこちらには気付かないまま、きょろっと辺りを見回し、その視点を一点で止めて笑っていた。
「あ、仁王先輩…それに柳生先輩も。こんにちはー」
「!?」
その名前は、間違いない…立海テニス部レギュラーの男達だ。
茂みに再び顔の殆どを隠しつつ、朋香は更に向こうの偵察を続行。
やがて、桜乃の傍に、二人の立海の男子学生が近づいて、その傍らでぴたりと足を止めた。
一人は銀髪で細身…もう一人は眼鏡で己の瞳を隠した、同じく細身の若者達だった。
彼らは自分達の当たり前の権利だとでも言うかの様に、桜乃に微笑みながら声を掛ける。
恋人とも、兄貴とも呼べる様な睦まじさで。
「ん、こんにちは」
「お一人ですか? 御一緒しても宜しいですか?」
「はい、勿論です」
にこ、と笑って頷いてくれた少女に、二人も微笑み返しつつその場に座した。
(うっそ〜〜〜〜〜!! あの奥手の桜乃がっ!?)
影から見ていた朋香が心で大声を上げた。
実際にも声を上げるところだったのだが、かろうじてそれは踏み止まった。
桜乃があんなにあっさりと男性と話が出来るなんて…青学ではクラスメートと話すのにもしどろもどろだったのに、どうしちゃったの!?
(信じられないっ…しかも確かあの二人って…立海でもめっちゃくちゃタチが悪かった嘘つき野郎じゃないっ!! まさか桜乃を騙くらかして食い物にしようとしてんじゃないでしょーねーっ!!!???)
『っくしゅん!!』
「きゃ…! お二人ともお風邪ですか?」
ほぼ同時にハモった仁王と柳生のくしゃみに、桜乃が驚き声を掛け、二人はいやいやと手を振りながらも、何処か腑に落ちない表情だった。
「…ついさっきから、寒気か殺気の様なモノを感じとるんじゃが…」
「奇遇ですね、私もです」
不思議だなーと言いつつ桜乃の傍を離れない二人の背後から、茂みに隠れて朋香が『がるるるる…っ!』と友情故の威嚇を行っていたが、流石にそれ以上の効果は無かった様だ。
「お大事にして下さいね?」
「ん、ありがとさん…お前さんは本当に優しいのう」
「私達のことより、竜崎さんこそ気をつけて。間違いなく貴女の方が華奢なんですからね」
影の偵察者の姿には気付かないまま、三人はほのぼのとした雰囲気の中で楽しく昼食を摂り始めた。
こう言っては何だが、仁王も柳生も立海の中で十分にイケメンの域に入り、しかも普段はファンの女子にはあまり興味を示さない。
そんな彼らが桜乃には優しく接し、気を掛ける様子は、他の生徒達からも物珍しそうに注目されていたが、二人は一向に気にする素振りはなく、時折、桜乃の頭をなでなでと撫でる仕草までしてみせる。
話す内容もその端々から彼らの性格が垣間見えるようなものだったが、口調はあくまで柔らかく、桜乃に対して配慮している事は明らかだ。
「仁王君、あんまり可愛がると、また他のメンバーからやっかまれますよ」
「別にええじゃろ? 俺らと竜崎の仲なんじゃし…なー?」
「ふふふ…お二人とも冗談がお好きなんですから」
あれ程にクセのある二人が、桜乃の前ではまるで借りてきた猫の様だ。
どんなに近くても決して互いの領域を侵さない…どんなに親しくしても、決して礼を忘れない。
そんな桜乃の性格が、彼らの警戒の壁を自然と打ち崩し、安らぐ空間を創り出しているのだろうか?
(何か…やり手ホスト二人が客を騙そうとしたところが、逆に手玉に取られてるって感じだわね)
『……』
再び二人同時にきょろきょろと辺りを見回す仁王達の姿に、桜乃が不思議そうに首を傾げる。
「あの…何か?」
「いや…さっきからどうにも気分が悪いんじゃよな…誰彼構わずレーザー打ちたくなるというか…」
「何と言いますか…客寄せパンダにでもなった様な…」
「はぁ…?」
そんな三人の視線をかわしつつ、朋香は二人についての観察結果を書き込んでいた。
「えっと、仁王雅治…詐欺師だけど本性はそれ以上にあざとい可能性あり。下手に近づくと骨までしゃぶられてポイされかねないので、要注意。柳生比呂士…見た目は紳士然としているけど、口は結構キツめ。優しさを求めていくと逆に厳しく切り捨てられる可能性アリ。補足として、タイプの違う二人を一緒にしてしまうと化学反応を起こして猛毒に変化するので、混ぜるな危険…と」
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