桜乃と別れ、男女の暖簾の男側をくぐって脱衣所に入り、彼らはそれぞれが選んだ、棚に備え付けの籠の前に立つ。
「他の先客もいるみたいだから、あまりここでは騒いだらダメだよ」
「分かったッス」
しっかりとマナーを弁える事を確認して、彼らはそれぞれ準備が整った者から浴場へと向かって行った。
一歩外に出ると、外は徐々に夕暮れに包まれつつあったが、まだ十分に周囲は明るい。
都内と比べてかなり気温は低いがそれでも冷気を感じるというには至らず、若者達は思い思いに軽く体の汚れを洗い流してから、岩造りの湯船に身を沈めた。
湯は硫黄泉に特徴的な乳白色で、立ち昇る湯気が目にも心地良い。
源泉が七十度を越えるとあり、少々熱めではるが、彼らにとってはそれは特に問題ない様だ。
「ひゃ〜、牛乳みたいに真っ白ッスね。気持ちいい〜〜」
「硫黄泉という名の通り、硫黄を含んだ水だ。皮膚病、リウマチ、喘息、婦人病等にも効果があるとされている。但し、硫化水素を含む為に金と白金以外の金属製のアクセサリーを身につけて入浴すると腐食するから注意が必要だ」
肩まで浸かりながら早速豆知識を披露した柳に、へーっと感心しながら丸井が言った。
「それなら心配ないんじゃねぃ? 俺らみたいな中学生の身分で、そうそう金とか白金持ってる奴なんて…」
言いかけて数秒後……
「あー、一人だけ心当たりはあるな、うん」
「俺も多分同じコト考えた」
ジャッカルも横に視線を逸らしつつ同調したところに、青学の菊丸が話に加わってきた。
「もしかして、最初に『あ』がつく人?」
「そうそう」
「アイツなら、家に白金造りの風呂持ってても驚かねぇよい」
青学と立海、互いに激しいダブルス戦を繰り広げた彼らだが、コートを離れた場所では結構意気投合している。
「下らんな、そんなモノを普段からちゃらちゃらと身につける奴の気が知れん」
「全くだな…公共のマナーにも反することだ」
真田と手塚も、固い性格の者同士、結構話が合う様だ。
「おい、潜りっこしようぜ、どっちが長く息を止めていられるか!」
「俺、ゆっくりしたいんスけど」
折角の本場の温泉に来た以上、それを満喫したい一年ルーキーは、桃城の勝負の誘いに対し珍しく消極的な姿勢を示す。
「つまんねーなー、付き合い悪いぜ越前」
「黙って入れ」
海堂の窘めに、むっとした桃城が何か言い返そうとする前に、やんわりと紳士の声が割って入ってきた。
「まぁまぁ…ここは騒がずにゆっくりと温泉を楽しむべきですよ。他の方々にも迷惑になりますから、桃城君もここは控えて。何かあったら、竜崎先生に申し訳有りませんからね」
「うっ、そう言われるとツライっすね…むぅ」
仕方がない、ここは退くか〜、と桃城が引っ込もうとして、ふと気がついた事を相手に尋ねた。
「…で、何で柳生さんは眼鏡を掛けているんですか?」
「視力があまり良くないもので」
「いや、それは根本的なコトですから……じゃなくて、何で温泉に来てまで眼鏡を」
「こだわりですからお構いなく…曇り防止は完璧です」
(そーゆーコトを心配すべきトコロなのだろうか…)
でも、それを聞いたら聞いたでまた理解に苦しむ回答が返ってくるかも…と、桃城はそれ以上の質問を止め、相手の隣にいた詐欺師へと目を遣った。
或る意味立海で最も恐ろしい男が、今は何故か非常に大人しく湯船に浸かっている…と思っていたら…
ピ――――――――――――ッ!
耳障りな高音の電子音が彼の傍から聞こえてきて、立海、青学双方の男達の耳を刺激した。
「むっ?」
「何の音だ?」
真田と手塚がそちらへと目を遣ると、仁王が湯船の近くに置いていた、一つの小さな物体を取り上げて、真面目な様子で見入っていた。
どうやら音の出所はそれらしかったが、彼はすぐにその音を止めてしまう。
「何スか?」
越前が尋ねながら、湯船で座ったまま移動する形で詐欺師に近づいていくに従い、彼が持っているモノが明らかになる。
おそらく、湯気などの成分による腐食を防ぐ為にビニルに入れられていたそれは、一見すると小さな楕円形の金属機器だった。
「仁王君、ラジオを持ち込むなんて無粋な事を…」
「そこまで能天気じゃないぜよ……しかしやっぱりか、皆ちょっと」
仁王は、何故か不意に声を潜め、ちょいちょいと青学と立海全員を手招きで呼んだ。
その真面目な表情から、何かの遊びに誘う訳ではなさそうだ。
何事だろうと思いつつも、取り敢えず集まった若者達に、その詐欺師は開口一番、とんでもない事実を打ち明ける。
「…ノゾキがおるぜよ、ここに」
『!!??』
ぎょっとする皆の前で、仁王はその根拠を明らかにした。
「これ、電波探知機なんじゃよ…鳴って反応したという事は、此処の何処かに電波を発する機械があるってコトじゃな…普通に考えて、こんな場所にそんなモン持って入るか?」
説明は至って簡単明瞭、疑うコトもなかったのだが……
「何故そんなモノを持って入ってんだ」
これも簡単な質問が海堂から発されたが、仁王は当然とばかりに即答する。
「最近は何処かの女湯を盗撮して、画像を売るようなえげつない商売が大繁盛しとるらしいのう…別に俺らの知らん処で起こっとるコトにまでは関知はせんが、そこで問題じゃ」
ゆっくりと…無表情のままに仁王が言った次の言葉に、全員が凍りついた。
「今、隣の女湯には、『誰が』入っているんじゃろ?」
『!!!!』
そうだ…確か、あの竹を並べて造られた壁の向こうには、先程会ったばかりのあの娘が入浴中だった筈…!!
「誰かが隣の様子を撮影してるってコト!?」
一番に反応を示したのは幸村で、熱気だけではない、怒気の所為で顔が微かに紅潮している。
あの子を…盗撮しているかもしれない!?
「ま、世の中には女性に興味が持てない殿方もおりはするけどのう」
しれっと言った詐欺師に、ぞわあああっ!!と温泉に浸かりながら全員が怖気をふるった。
つまり…コッチも盗撮されている可能性があるという事か!?
「仁王…それを今考える必要はない筈だ。常識的、且つ統計学的に見ても、こういう浴場での盗撮目的は殆ど全てが女子の裸体の筈。先ず考えるべきは、やはり向こうの被害の方だろう」
「俺も貞治の意見に賛成だ。先ず何よりも優先されるべきは、竜崎の身の安全確保だ。下手な人間にデータが渡ると、半永久的に彼女の身体が誰とも知れん輩の目に晒されかねん。それはあまりにもむご過ぎる」
乾と柳の意見には誰もが同調し、うんうんと頷いた。
「とにかく、データが流出する前に食い止めるぞ」
ばきっと手の骨を鳴らしながら、殺気を纏った真田が宣言し、そこで青学・立海揃った犯罪撲滅隊が結成される。
「仁王、その機器の性能について教えてくれ」
「盗撮電波、盗聴電波にも対応しとるモノじゃよ。その機器の近くに行く程に音量が大きくなる仕組みじゃ」
柳の質問に答えつつ、仁王はビニルの中に手を入れてその音量のツマミを弄った後で相手に渡した。
「音量を絞っておいた。俺らが騒いで誤魔化せば、犯人も気付きにくいじゃろ…こういう犯罪は現行犯で捕まえんと意味ないぞ」
「逃がすつもりなど、毛頭無い」
手塚が憮然とした表情で宣言して、幸村とも頷き合う。
二人の部長が本気になった以上、盗撮魔の逃げ道は既に塞がれたも同然だった。
「こういう処に常時設置型の物を置くのは向こうにもリスクが高すぎる…おそらく、持ち込み型のビデオカメラか、盗撮用の小型カメラを持ち込んでいる筈だ…この女湯との仕切りになっている竹壁…この近くに不審物があり、且つ反応が強くなったら、可能性はかなり高いぞ」
「しかし、どうやって探す? この温泉は壁沿いの長さが結構ある。下手に探るように移動しては、相手に悟られて機械ごと撤収されるかもしれんぞ」
真田の意見も尤もだった。
時間帯が夕方だっただけに、他にも結構な数の入浴客がいる。
片っ端から荷物を調べる権限などないし、当てずっぽうに相手を糾弾する訳にもいかない。
かといって、このビニル袋の中の機械を手に持ちながら移動したら、それはそれで人目にもついて怪しまれかねない。
どうにかしてこっそりと…秘密裏に調べられないものだろうか?
「時間がない、早くしないと犯人が上がってしまうかもしれないぞ」
ジャッカルが焦って辺りを見回し、まだそういう客はいないと確認はしたものの、彼の懸念も的を得ていた。
その時、声を挟んできたのは青学の一年ルーキー。
「これ、使えないかな」
「ん?」
手塚が何だ?と目を遣ったところで相手が出してきたのは…アヒルちゃんだった。
『……………』
微妙な沈黙が流れる中、越前は至極真面目にそれについて語る。
「元々入浴剤が入っている品物だったから、底にネジ式の蓋があって、中に物が密閉出来るんだ。コレの中にそれを入れて、皆が壁際に散ったところで、誤魔化しながら回していくのはどお? 音が一番大きくなったところで、その辺りを気を付けてみたら…」
「…良い案だ」
成人男性が仕出かしたら限りなく痛い行動だが、自分達が中学生だという事実を逆手に取れば全く問題ない。
一つだけ問題があるとすれば…
「で、何でこんなモノがここにある?」
越前を評価した後で、おそらく今最も尋ねたかった事を柳が口にすると、相手は逆に何でそんな事を訊くのかと目を丸くした。
「何でって…温泉グッズには欠かせないでしょ」
これは、素直にそうだと納得してやるのが優しさというものなのだろうか…?
「聖ルドルフのアヒルが持ってたの見て、欲しくなったんだ」
ああ、切っ掛けはそういうコトか…何となく納得。
「と、とにかく今は急いだ方がいいんじゃない?」
気を取り直しての河村の呼びかけに、はっと我に返った男達は、すぐに作戦を実行に移す。
「一応、盗撮の道具が一メートル以内に近づいた時にはこれぐらいの音量が鳴る筈じゃ…覚えておけよ」
仁王が音量の確認をしたところで、それを改めて乾たちに渡した。
「取り敢えず、ビニルには入れたままで中にそれを詰めて…しっかり蓋をしてくれ」
乾と越前が準備をしている間に、幸村と手塚は部員全員に指示を出した。
「君達はそれぞれ、壁際に背中を預けて休んでいる様に見せかけて。適当に間隔を空けてね」
「上手く会話をしながら、自然にな」
『了解』
大声ではなく囁くような返事を返して、全員が何人かずつのグループに集まり、それぞれ散っていく。
絶対に失敗出来ない目的を共有した若者達は、しかし上手く賑やかに騒いだり取りとめのない話をしながらという形で、周囲の温泉客とも完全に馴染んでいた。
「おーい、越前〜。そのアヒル貸してくれよ!」
「行くッスよ、桃先輩!」
ぽーんっと放る形で、トップバッターの越前が、少し離れた桃城にアヒルを回した。
「俺にも見せてよ」
河村のカモフラージュにも助けられながら、桃城はアヒルを弄る格好で、さり気なくそこから洩れ聞こえる電子音を確認する。
(さっき聞こえてきたのよりは、ちょっとだけ大きくなってるね…)
(けど、周囲にはそれらしいブツはないし…目的の音よりは小さいッスよね…)
ここ辺りではなさそうだな…と判断し、即座に次のグループへとバトンタッチ。
また色々な理由を付けたり、貸してくれと頼んだりしながら、他のグループにアヒルが転々と出張を繰り返していく。
最初に確認した音量には程遠いが、確実に近づいてきている…
そして、
「おーい、おチビ、借りるよーん!」
無邪気に手を振り上げて菊丸が遠くにいる後輩に声を掛けている間に、一緒にいた丸井とジャッカルがいそいそとアヒルに顔を近づけた時、
ピ――――――――――――ッ…
多少、プラスチックの壁に阻まれてはいるが、仁王の注意と一緒に聞かされていた時の音量にほぼ近い…!
(ココか!?)
(探すぞい!)
ばっと素早く視線を交わし、彼らはさり気なく辺りへと注意を向けた。
そして、一拍遅れる形で菊丸も参戦。
「結構、手持ちの入浴セットって持ってる奴いるんだな」
「俺らもそうだからさ〜、まぁ持つなって言うのも横暴じゃん…」
「……あれれ〜?」
丸井達の会話の途中で、菊丸が手を額にかざしつつ素っ頓狂な声を上げた。
「どーしたよい、菊丸」
「あれあれ、あれおかしくない?」
菊丸がさり気なく示したのは、少し先の壁際に置かれていたビニルバッグだった。
無色透明のビニルバッグで、中にはナイロンタオルだったりシャンプーの容器などが詰められているのが見て取れる。
「…何処が?」
よく分からない、と丸井は首を傾げたが、じーっと凝視していた菊丸はやっぱりおかしいと頷いた。
「全然、中身が濡れてないっぽいよ。それにあんな壁ギリギリの処にぴっちり置いて、いかにもあやし〜〜」
流石に視力の良さを普段から自慢しているだけのことはある。
「う」
「そう言えば…」
そのバッグの持ち主らしい男は、傍の湯船に浸かっている。
年はまだ若い…とは言え、無論成人はしているだろう。
大学生か…社会人になりたての若者だろう。
長髪のいかにも今時のヘアスタイルで、何となく遊び人風だな、とつい穿った目で見てしまうのだが…こいつなのだろうか?
「…確かに濡れてないな…アイツ結構前からいたと思うんだが、何も取り出さずに使ってないのは不自然だな…」
菊丸同様に視力の良さを誇るジャッカルも、同じ様にあれはおかしいと頷く。
「だろ〜? しかもタオルでさり気なく、中を見えない様に細工してるみたいに見えない?」
「うーん……言われてみたらそうだが…怪しいと思うと、そうでないものまでそう見えてしまうからなぁ…」
今ひとつ証拠に欠けるな…とジャッカルが首を捻っていると、いきなり丸井がざぶざぶと波を立てながら、堂々のその若者の傍へと近づいていく。
(お、おい!?)
何をするつもりなんだ、と相棒が当惑している間に、彼はさっさとあの若者とバッグの近くに来たところで、くるっとこちらを振り向くと、ぶんぶんと両手を派手に振り回した。
「おーいっ! キャッチボールしようぜ〜い。ジャッカル、それ投げてくれよー!」
「っ!」
そうかっ、もしかしてアイツ…!
ちらっと軽く目を交わした菊丸も、向こうの真意に気付いた様で、にっと楽しげに瞳を揺らしている。
「お、おお! じゃあ行くぞ!」
呼びかけに答える形で、彼はそのままアヒルをぽーんっと丸井の方へと放った。
それは緩やかに放物線を描き、相手の元へと落ちてゆく。
丸井の優れた運動神経であれば、取るのは容易だった。
容易だった筈だった…のだが…
「おっとっと…!!」
『何故か』、丸井はあっさりとそれを取り損ねてしまい、アヒルは彼の手に弾かれてぽんっと再び宙に舞い…バッグの傍へと落ちた。
「うわ、やべーやべー」
しくった〜と大声で言いながら丸井が濡れた手で飛沫を散らしながら、バッグの上面を越える形で落ちたアヒルを拾おうとした時、待っていた瞬間が訪れた。
「触るなっ!!」
いきなり傍にいた例の若者が、怒声を上げながらバッグを自分の方へと引き寄せたのだ。
怒りを露にして……明らかに不自然な表情で。
「ど、どもスミマセンねぇ! アヒルちゃん転がしちゃって」
てへへ〜と笑いながらアヒルを取り上げて、そそくさ〜っと丸井はあの二人の処に戻っていくと…にっと笑ってこっそりと親指を突き出した。
「バッチリだぜい…アヒルがバッグの隣に行った時、音がいっちゃん大きくなった…それにあの異常なまでの慌てよう…ビンゴだろい」
「てコトは、やっぱあの中にビデオカメラが…」
どうしてくれようか…と思ったものの、ここは先ず下手人確保の連絡をしなければ、と、菊丸が代表して温泉の出入り口近くに待機していた真田達の許へと向かった。
そして大体の犯人の目星がついたところで、作戦は第二段階に移る。
「そのままあそこで指摘してひっ捕らえるか?」
真田の提案に、柳は否、と答えた。
「指摘されて逆上でもされて、あのバッグを機械ごと湯に沈められたら証拠もおじゃんになる…出来たら証拠ごと確保したい。今、あの場所で追及するのは危険だな」
「では…」
相手の確認に、参謀はこくっと頷いた。
「入浴している以上、いつかは上がらなければいけないのだ…狙うならその時だな」
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